本事件に関する新聞を遡ると、事件の動機は「金銭目的の犯行」「お金と食料品」という短い言葉で切り捨てられていた。はたして、実際の法廷では何が語られていたのか──。

法廷で貫いた“沈黙”

 土屋死刑囚の初公判は、事件から2年後の2016年6月30日、前橋地裁で、有権者の中から選ばれた市民が審理に参加する、裁判員裁判だった。強盗殺人罪の法定刑は、死刑か無期懲役。公判前の整理手続きで、犯行をおおむね認めていることから、裁判員が重い判決を迫られることは必至であった。

 裁判での彼は、罪を認めるかどうかについて行われる“罪状認否”で、裁判官からの問いに対して、驚くべきことに無言だったという。彼の無言を貫く姿勢は、この限りでなく、犯行時の行動について問われた際も黙りこくり、やっと口にしたのは

覚えていないです

 のひと言だっだという。このことは当時の新聞やテレビでも報じられ、このときの彼の様子から、なぜ法廷の場で語らないのだと憤るのはもちろん、反省の字すらうかがえない態度に怒りを覚えてしまう。

 私が彼と面会し始めたころも、同じシーンを思わせる言動があった。こちらが核心に迫るような質問には、決まってうつむき、黙る。“都合の悪いことには答えない”。これがわかりやすく表れていたのだ。

 裁判の多くを無言で占めていた土屋死刑囚。ご遺族による被告人質問にもほとんど無言だったようで、裁判長が答えるよう促すも、ひと言も発しなかったそうだ。ただ、裁判員からの「もし、幼少期が違えば違う人生を送れたと思いますか」という質問に、はっきり「はい」と答えている。

 彼はこうして自分自身の人生を狂わせた不運の原因を、今の社会のあり方に結びつけた。私はただの傍観者にすぎないが、そんな私からみても、土屋死刑囚のこの言動は、あまりに身勝手な自我そのものに思えてならなかった。

 亡くなってしまった被害者の痛みを、残されたご遺族の計り知れない悲しみや喪失感を、世間に与えた恐怖感を、彼自身はどこまで感じとっていたのだろうか。私は、彼の事件の動機を知ろうとすればするほどに、わからなくなり、彼の心の趣を、まったくつかみかねていた。