親の暴力や公的機関の不手際など、いつもの“パターン”で次々と失われていく幼い命。5歳児母親の初公判で明かされた事実をもとに、これ以上の犠牲者を出さないためには──。

母親の初公判、結愛ちゃんのメモに涙

「息子の前妻の裁判が始まったのは、新聞やテレビの報道で知っています。だけど、裁判がどう転ぼうと、わしが可愛がっていた結愛が帰ってこないことは一緒。わしらが決めることじゃないですけん」

 週刊女性の取材にそう言って肩を落とすのは、香川に住む船戸結愛ちゃんの父方の祖父。

 昨年3月、東京・目黒区で起きた両親による結愛ちゃんへの虐待死事件で、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親・優里被告(27)の初公判が9月3日、東京地裁で始まった。

 起訴内容は、昨年1月下旬から結愛ちゃんに十分な食事を与えず、10月から公判が始まる夫・雄大被告(34)の暴行を知っていながら虐待の発覚を恐れて放置。肺炎による敗血症で3月に死亡させたというもの。

「結愛ちゃんが当時、つけていたノートによると、体重は1月には16キロ以上あったようですが、次第に落ちていって、死亡時にはわずか12・2キロにまでなっていました。また、身体には虐待の痕跡と思われる無数の傷があったようです」(社会部記者)

 香川県で、前夫との間にできた結愛ちゃんを連れて雄大被告と再婚した優里被告。

 雄大被告の結愛ちゃんへのしつけと称する暴行が始まったのは、両被告の長男が生まれた'16年11月ごろからだった。

 結愛ちゃんは当時、親から指摘された注意事項や課題、体重、心境などをノートにつけていた。そこには繰り返し行われた雄大被告の体罰に対して、

《もうおねがい ゆるして ゆるしてください》

 と綴られていた。今回の法廷では、

《あしたのあさは ぜったいにやるんだとおもって いっしょうけんめいやる やるぞ パパとママにみせるってきもちでやるぞ えいえいおー》

 というメモも公開され、被告は涙を流すばかりだった。

「結愛ちゃんは香川にいた'17年3月に2度、児童相談所に一時保護をされていますが、いずれも3~4か月で保護解除し、自宅に戻っています」(同・記者)

 '17年12月には、雄大被告が仕事探しのため東京都目黒区へ単身で転居し、'18年1月には妻子も続いた。

 このとき香川県の児相から、品川の児相に引き継ぎがなされているが児相は、

深刻なものとは受け止めていなかった

 として、結愛ちゃんや両親への面会は1度もできておらず、児相の責任を糾弾する厳しい意見が噴出している。