女性アイドルグループのBiSBiSHの生みの親として、さらには株式会社WACK代表、音楽プロデューサー、作詞家、ファッションデザイナーとしても幅広く活躍する渡辺淳之介さん。挫折多き学生時代のエピソードから、音楽業界を志したきっかけやアイドルプロデュースで心がけていること、そして、これからの芸能界での展望にいたるまでを大いに語ってくれた。

渡辺淳之介が「音楽業界」を志すまで

――進学校である桐朋中学・高校に通われていたということですが、どのような学生時代を過ごされましたか?

「やばかったっす。母親が小学校の教師だったんで、小学校3年生くらいまでは勉強してたんですよ。塾も行ってましたし。

 だけど、中学1年のときにギターを持ちはじめて、バンド活動が楽しくなったもんで、中学2年くらいから学校に行かなくなっちゃって。不登校といっても引きこもりだったわけではなく、学校外の友達とずっといたので、出ずっぱりの不登校児ですね。学校や家には帰りたくない、社会に対して中指を立てたいという感じで

――そのバンドで芸能界を目指そうと?

「高校2年で学校をやめて、地元・八王子のライブハウスで、プロになりたいバンドマンや大学生に交じって演奏していたんで、こうやってインディーズに上がっていくのかなって思っていたんですよ。

 だけど、あるとき高校生の音楽フェスがあって、その地区予選を見に行ったんです。そしたらオリジナル曲もやる、同い年のすげぇうまいバンドがいて。“あ、これちょっと勝てないな、自分には才能がないな”と実感したんです。そこから次第に裏方をやっていきたいなと思うようになりました」

――高校は中退されたそうですが、芸能界の裏方を目指すにあたり、具体的にはどんなことをされたのでしょうか。

いろんな就活本を読んだところ、裏方の仕事といってもレコーディングエンジニアとか、照明さんとか、いろいろあるなかでいちばんカッコいいなと思ったのがレコード会社のディレクター、A&Rという職業だったんです。

 だけど同時に、就職難易度ももっとも難しくて、有名大学ぐらいは出ていないとまず無理な超狭き門だと。高卒のままだとスタート地点にすら立てないということで、大検を受けて大学受験をしようと決意しました」

――そして見事、早稲田大学に合格されたわけですが、学生生活はいかがでしたか?

「普通に遊んでましたね。新歓コンパでは、大学のネームバリューを利用して取っ替え引っ替えするという“ヤンチャ”をして大顰蹙(ひんしゅく)を買ったりしました。

 学園祭の実行委員会にも入ったんですけど、1年でやめてしまい……。そんな感じで楽しんでいたら、授業には行かなくなりまして。結局、留年して大学には6年通いましたが、4年のときから業界で働くようになり、5年生のときには小さい音楽事務所で社員をしていました」