1度つまずいた人に世間は恐ろしいほど無関心

岡本 絶望的孤独と選択的孤独があって、絶望的孤独を美化することはできないっていうことを私は言いたいんです。選択的に私はひとりだっていうのを、否定しないでくれっていう意見はすごくよくわかるんです。でもその状態に置かれたくないけれども孤独だという人に対して、そのままで我慢しなさいっていうのは、私はおかしいと思うし、孤独になるのはその人の責任だけではないと思う。社会としての構造的な問題が絶対ある。社会としてとらえていくべきだ、ということですよね。

菅野 まさにそう。私は2015年ころから孤独死の取材を始めたのですが、特殊清掃の現場を訪れると、日本の社会構造が疲弊しているということをひしひしと感じる。

 孤独死する人の8割が男性なんですが、だいたいセルフネグレクト(自己放任)になって、家はゴミ屋敷で、ペットボトルに尿をためてて、ひどい状態になってるんです。孤独死は“大往生”的な、布団の中でポックリみたいなのって非常に少なくて、部屋の動線で亡くなっていることが多くて、苦しくて外に助けを求めようとして行き倒れてしまったというケースも多い。本当に悲惨で。早く見つかっていたら助かっていたかもしれないっていう現場もかなりある。だから長年、孤独死の現場を見ている身としては、孤独死って全然いいものではない。その一方で、置かれてる状況を本人ではどうにもできないくらい傷ついてしまった人もいる。

 だからといってお金があればいいってものでもなくて、孤立までの道のりが個々の事情によっても違うし、すごく根深い問題なんですよね。

──菅野さんの取材記事の中で、高級マンションで暮らしていた男性が孤独死で見つかった事例もありましたね。

菅野 築1年のマンションでペットを10匹くらい飼っていて、でも誰ともつながりがなくて、亡くなってから半年以上、見つからなかった。その男性は、親の遺産で生計を立てていて、何不自由ない生活を送っていた。そんなこともあるから、決してお金の有無ではないんですよね。

──ひとりで死ぬことはあっても、そこから見つけられないっていうのが問題。

菅野 社会との関係性のなさの表れですもんね。最後、そこまで何もつながりがないっていうのは。

岡本 ひとりで死ぬということが悪いのではなく、孤独は人を死に追いやるんですよね。孤独になることによって死期を早める。

岡本純子さん 撮影/矢島泰輔
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菅野 私はいつも記事で、国は孤独死や孤独の実態を把握して、対策を考えるべきだという締めくくりで終わることが多いんですけど、現実問題としてまだ国として孤独死の研究がされず、実態もわかっていません。ただ、これまで取材した中で感じるのは、孤独死する人は、かつては会社に属していたりした経験がある方が多いのですが、1度つまずいた人には、世間は恐ろしいほどに無関心だということです。そんないびつな日本の社会構造がかなり影響していると感じます。

岡本 自己責任って言われてしまう。

菅野 自己責任文化、強いですよね。なぜでしょうか?

岡本 迷惑をかけたくない、っていう気持ちもあるし、その裏に迷惑をかけられたくないっていうものもあるので、お互いすごく無関心。日本って家族とか親戚が面倒見合ってきたんですけど、今は支え合うっていう考えがなくなった。すると国と個しかないので、国の網目に入らず、家族との関係も絶たれていると、本当にひとりっていう社会になってしまっている。地域もない、家族もない。セーフティーネットが全くない人はこれからどんどん増えていくと思います。