月収2万円、会社員、自立

 7年前の2013年、滋賀県立八日市養護学校高等部を卒業した憲満さんは学校からの進路指導を受け、自宅から自転車で20分ほどのところにある福祉作業所に就職した。

 2017年には運転免許を取得。現在は絵を描きつつ、車で2つ目の職場に通勤し、会社員として働く毎日を送っている。

「今はねじや部品などを検品したり、商品を詰めたりする仕事をしています。検品は苦手やけど、シール貼りとかパック詰めとかは好きやな」

 収入は決して多くなく、月収にして2万円程度だと笑う。そんな25歳が今、もっとも意識しているのが自分自身の“自立”だ。憲満さんが言う。

「将来を考え始めたのは高校を卒業して3年ぐらいしてから。“お前も将来のことを考えないと”と言われて、ちょっとマズいかな、と思って。それ以来、食器洗いをたまにしたり、トイレ掃除とか。風呂掃除は毎日しています」

 実は2017年に父・満さんと母・雅美さんが、わけあって離婚。父ひとり、子ひとりとなったことで、自立への焦りに拍車がかかった側面がある。

 満さんが言う。

「自立について(憲満さんが)言い始めたのは3年ぐらい前からかな。周りが何も言わなくても何でもできるのが自立やと思っています。今は、だいぶ自分でなんでもするようになりましたね。当たり前のことやけど、ご飯を作って食べたりとか。この間も、“お父さん、カレーの作り方を教えて”と。それから、僕、トイレ掃除を毎日するんだけど、半年ぐらい前に、憲満も“トイレ掃除する”と言いだして。おかげんさんで、うちのトイレはきれいですわ

 こうしたことを地道に続けることで自立を果たし、いつかパートナーを持ってほしいと満さん。憲満さんも、25歳の青年の当然の願望として同じ思いがあるが、経済力という問題が立ちはだかる。だが、

「絵で収入を得たいという欲はあるけれど、それをしてはマズいですね。俺も人なので、売れて好きな所に行けるわ、東京に行けるわ、好きなもん食べさせてもらうわになると、鼻が高くなるでしょ? そんな経験したら人が変わるわ。今までそんな経験したことないから」

 絵の引き合いはあり、これまで3枚が売れている。

「(絵で生計を立てることを)今はまだそこまで考える必要はない。お父さんがいるから、そこまで真剣に考えてない。売ることばかりを考えて描いていたら、絵がダメになる」

 馬場先生が同じことを、別の角度から言う。

「今、アール・ブリュットがブームだけれども、ブームは去るときがくる。受賞をうれしい、うれしいと喜んでばかりいると、落ち込む時期が必ず来る。そうではなく、自分の楽しみのために描きなさいと。他人から“こういう絵を描いてほしい。もっと描いてほしい”と言われても“自分のペースで描きたいときに描きなさい”と言っています。それが一生絵を続けるコツですよね」

家事は「“~してほしい”と言わず、私が黙ってやる姿を見せます。すると、息子が自分から手伝いたいと言いますから」と満さん 撮影/伊藤和幸
家事は「“~してほしい”と言わず、私が黙ってやる姿を見せます。すると、息子が自分から手伝いたいと言いますから」と満さん 撮影/伊藤和幸
【写真】憲満さんの緻密で繊細な作品

 近藤監督の見解は、このお2人とは少々異なる。

僕は作家として身を立ててもいいんじゃないかと思います。日本には“障がい者は障がい者らしくしていろ”みたいなのがあるじゃないですか。障がい者がお金を儲けたら不謹慎だというような。

 そのへんが“売ることを考えたら絵がダメになる”と言わせてしまう部分もあるんじゃないかなあ、と。彼がアメリカで生まれ育っていたら、違っていたかもしれません」

 身体から湧き上がるままにひたすら描き続けたい欲求と、それは父・満さんの庇護の羽の下にいればこそ、という自覚。

 いつかは迫られる自立への不安と、美術界を席巻する商業主義への憧れとおそれ。

 自らが描く絵そのもののような複雑さを抱えつつ、今、この瞬間も、憲満さんは、描きたくて描きたくて、たまらない─。


取材・文/千羽ひとみ(せんばひとみ)ライター。神奈川県出身。企業広告のコピーライティング出身で、ドキュメントから料理関係、実用まで幅広い分野を手がける。著書に『ダイバーシティとマーケティング』『幸せ企業のひみつ』(共に共著)。