仕事に夢中で恋愛には無頓着だった小林さんだが、27歳のとき、親戚のすすめで夫・常浩さんと結婚。29歳で娘のひろ美さんを出産する。

 子育ても加わり、小林さんはますます多忙になった。保育園も少ない時代。今日は親戚の家、明日は保育園の園長先生の家、と綱渡りのように子どもの預け先を探したこともあるという。

29歳で娘・ひろ美さんを出産。ワーキングマザーのはしりとして、猛烈に忙しい日々を送る
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「同僚の盛田さんに、世田谷にいい保育園があると聞いて、買ったばかりの家を夫に黙って売って、近くに引っ越すという無茶をしたこともありました。あれもこれもと手をかけてあげられないけれど、子どもの命や健康に関わることは大事にしよう、と割り切っていた面はありますね」

働く母としての苦労

 夫の常浩さんからは、猛烈な反発にあった。

「子どもができれば仕事をやめるだろう、と思っていたら違った。何かあると『子どもがかわいそうじゃないか』『だからやめろって言ったんだよ』って言葉がおいかけてきました。

 ケンカしてもしかたないから、私ははぐらかしながら、頭の中でどうしようかなって考えている。そんなふうだから、夫は盛田さん夫婦に『あの人にはついていけません』って愚痴っていたみたい。それ、普通は妻が言うセリフですよね(笑)

 根負けしたのか、小林さんの仕事ぶりを見て考えが変わったのか、時がたつうちに協力的になり、妻自慢までするようになったという常浩さん。彼は15年前に鬼籍に入った。

メイクアップアーティストの先駆けとして活躍。独自のメイクアップ理論をまとめた『ザ・ベスト・メイキャップ』も出版

 当の娘・ひろ美さんは「寂しいと思うこともありましたが、忙しくても話を聞いてくれたり、手紙を残してくれたりしたので、愛情不足とは感じませんでした」と言う。

「子ども扱いせず、私の意思を尊重してくれたことはよかった。叱られたのは、人の悪口や告げ口。人のいいところを見なさいと。その教えは、私の人生を楽しくしてくれています」(ひろ美さん)

「むしろ母のあのエネルギーが、自分だけに向かっていたら大変でしたよ」と笑うひろ美さん。とはいえ、さまざまな葛藤はあったのだろう。前述の後輩、原田純子さんは話す。

「忙しくて寝ていないのか、朝、『私、昨日のお化粧のままなのよ』っておっしゃったり、『ひろ美が、仕事に行かないでって泣いて、ひっかいたのよ』って傷だらけの手を見せてくれたり。子どもがいて、あれだけ仕事をするのは並大抵のことじゃないのだなと感じていました」(原田さん)

 仕事で結果を出し続けた小林さんは、1985年、50歳で社内初の女性取締役に抜擢される。

「出世に興味がなくて、最初はお断りしたんです。でも、お世話になった創業者に、どうしてもと言われて。後に続く人のことも考えて、お引き受けしました」