嫌がらせの矛先は息子にも向けられて…

 香苗さんとは事務所で初めて顔を合わせたのですが、確かに香苗さんは緑色の精神障害者保健福祉手帳を持っており、中身を見せてもらうと「障害等級3級」と書かれていました。LINEの印象では唾を飛ばしながらマシンガントークを炸裂させる印象でしたが、実物の印象は逆。丁寧で控えめ。ゆっくりした口調で話してくれたので驚きました。

「頭がソフトクリームみたいにとろけそうになるんです!」

 香苗さんは自嘲(じちょう)気味に言いますが、2018年4月より、民間企業の障害者の法定雇用率が2.0%から2.2%に引き上げられたと同時に精神障害者が障害者雇用義務の対象に加わりました。

 香苗さんは息子さんの育児が落ち着いてきたころから仕事を始めましたが、体調を崩して辞めるという流れを繰り返しており、定職に就くのが難しい状況でした。しかし法改正の恩恵で障害者への配慮が深まったのでしょうか。2年前に徒歩圏内のスーパーにパートとして勤務してからは続いていたようです。心身とも不安定ななかで頑張り、年収80万円を得ていました。障害に苦労しつつも充実した生活を送っているはず……でした。

 一方の夫はどんな人物なのでしょうか? 健康保険証によると鉄道会社の子会社に勤めているようです。そして初詣のときの家族写真を見せてもらったところ、スキンヘッドの頭髪に服の上からもわかる鍛え上げられた肉体。筆者は不気味なオーラを醸し出した危険な人物という印象を受けました。

 気になったのは、なぜ香苗さんがここまで夫に怯えているのかです。

 コロナ前の夫は手を上げることはなくても、妻子へ恐怖を与えるタイプでした。例えば、食器を片づけるときに大きな音を立てたり、香苗さんが入浴中に洗面所のドアを何度も開け閉めしたり、香苗さんの電話が長いとスマホを取り上げ、「返して」と頼むと投げつけたり……。しかし、夫の標的は香苗さんだけではありませんでした。息子さんが使ったティッシュをゴミ箱から出して玄関に散乱させるなど、嫌がらせの矛先はお子さんにも向かっていたのです。

「家にいても心が休まらない日々でした」

 香苗さんはため息まじりで言いますが、「不幸せなら態度で示そうよ」という感じで威嚇(いかく)し続ける夫。昼の素面(しらふ)ですら怖いのに、酔った夜の顔はなおさらです。香苗さんと息子さんは昼夜問わず、夫から逃げ続けたのですが、特に息子さんの身体は悲鳴を上げていました。頭皮に500円硬貨ほどの丸い脱毛斑ができるほど強いストレスに苛まれていたのです。外飲みして帰宅した夫はそのまま寝入ることが多かったので事なきを得ていたのですが、コロナにより状況はむしろ悪化したのです。

夫が「家飲み」に切り替えて起きた悲劇

 4月に緊急事態宣言が出され、東京都では飲食店に対し、アルコールの提供は19時まで、営業は20時までという要請を行ったのですが、同時に夫の勤務先では飲み会禁止令が発せられたので「飲んで帰る」のは無理。夫は家に帰りたくないから無意味に時間を潰す「フラリーマン」ではないので、寄り道をせず、自宅へ直帰し、外飲みから家飲みに切り替えたのです。そのため、香苗さんと息子さんは夫が帰宅する19時より前に夕飯を済ませ、リビングに避難したそうです。

「また手抜きか。おかずが少なすぎるだろ!」

 夫は帰宅早々、冷蔵庫から取り出したビールで晩酌を始めると皮肉まじりに言い放ったのです。香苗さんは家事を済ませ、パートの仕事を終え、くたくたに疲れているなか、3品のおかずを用意したのにひどい言われよう。香苗さんは夫に逆らうのも面倒なので、冷凍庫からシュウマイを取り出し、電子レンジで温め、テーブルに乗せたそうです。しかし、香苗さんの嫌そうな仕草が夫の逆鱗に触れたようで「また冷凍食品か!」と激怒。

「部屋が散らかっているじゃないか!」

 さらに夫は一方的に罵声を浴びせると、手に持った箸を投げつけてきたそうです。