【伝説3】ビデオ10万本のプレゼントに応募殺到!

 1998年、フジサンケイグループがフジテレビ開局30周年&ニッポン放送開局35周年を記念して企画制作した光GENJIのスペシャルビデオ『あ・き・す・と・ぜ・ね・こ』。日本とサイパンでロケが行われ、彼らのプライベートがたっぷり詰まった非売品のプライベートビデオだった。開局記念の品ということもあり、10万本をプレゼントするという太っ腹な企画だったのだが……。「歌番組『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)で応募要項が発表されるやいなや問い合わせが殺到。事務所とニッポン放送の電話はパンク寸前でした」(テレビ局関係者)

 また、「1人で2枚以上ハガキを出したら失格」という厳しい条件があったにもかかわらず、応募総数は250万通をはるかに超える記録的な数字に。ハガキのあて先となった東京中央郵便局も大パニックだったという。たかがハガキ……とあなどるなかれ、もし250万通のハガキを1列に積み重ねたとすると高さは600m、重量は2トントラック4台分になるというから驚き!?

【伝説4】ファンの歓声がすごすぎ! 放送事故寸前

「アイドルがバラエティー番組に出ることなど考えられなかった時代、ファンとアイドルをつないでいたのはテレビの歌番組でした」と話してくれたのは、元ジャニーズタレントで現在は映画監督の東真司さん。特に、ランキング形式で人気曲を紹介する『ザ・ベストテン』(TBS系)や『歌のトップテン』(日本テレビ系)は2大巨頭とされ、1980年代後半、光GENJIも両番組に毎週のように登場していた。

最大のヒット曲となった『パラダイス銀河』や『ガラスの十代』のころには、公開収録に集まったファンの歓声があまりにもすごすぎて、司会者同士の会話もままならず、進行が妨げられてしまうことも。まさに放送事故寸前のレベルでした」(テレビ局関係者)。

 こうした状況を受け、1988年2月22日放送の『歌のトップテン』(和田アキ子・島田紳助司会)では、会場のファンの歓声を騒音計にて測定。なんと100デシベル(当時は100ホン)を記録した。これは電車が走行する際のガード下の騒音に匹敵するレベルだというから驚異的! 当時のファンの熱狂ぶりを象徴するエピソードだ。

【伝説5】日本全国の親衛隊(応援グループ)

 おそろいのハッピとハチマキを身につけ、コンサート会場で応援コールを送る……。アイドルの黄金時代を盛り上げた熱狂的なファン集団といえば「親衛隊」。光GENJIファンも例外ではなく、全国各地に多くの親衛隊が誕生した。

「ジャニーズ事務所から『親衛隊という呼び名はイメージが悪い』というお達しがあり、途中からジャニーズの親衛隊は『応援グループ』という呼称に変わりました。

『大きなグループのリーダーになればタレント本人に会えるらしい』など不確かなウワサも飛び交っていましたが、実際にリーダーはジャニーズファミリークラブから連絡先を聞かれ、多少なりとも情報を与えられていたようです。このシステムが、のちの『オリキ』(“追っかけ”に“力”を入れる、の略語)文化につながったと言われています」(ジャニーズに詳しい記者)

 正確な記録は残されていないものの、「敦啓宗教」、「ピンクシャンパン」、「ZOO」、「メモリーズ」、「ストロベリージャム」、「めるしぃぼく」など多くの応援グループが存在。

中でも大阪の『紫SHIKIBU』は最大の勢力を誇り、巨大グループ『清少納言』と対立していたという都市伝説のようなウワサもあります(笑)」(前出の記者)

 メンバーは、コンサート会場でのスカウトや、雑誌の「応援グループメンバー募集」欄などで集められていた。県ごとに支部も設けられていたというから、一体、総勢何人が参加していたのか……いずれにしてもすごい!