「産みの母には会いたくない」

 山崎さんが育った家庭環境は、「複雑」のひと言に尽きる。生まれも育ちも東京・足立区だが、埼玉の越谷と行ったり来たりしていたという。

「未来を描けなかった」という学生時代
「未来を描けなかった」という学生時代
【写真】コインランドリーのイメージを覆すおしゃれな店内

父親はもう亡くなってますが、建築関係の自営業でした。なんというか、酒好きのあらくれもんでね。私が2歳のときに両親は離婚して、母親が出ていったんで、お母さんの顔も知らずに育ちました

 4~5歳のころに、父親は再婚したが、山崎さんは継母と折り合いが悪く、父方の叔母が暮らす越谷に逃げ込んでいた時期もあったそうだ。

 その後、山崎さんが小学校高学年のころに、父親は再び離婚。継母が出ていったため、父親、継母が生んだ弟との3人暮らしが始まった。

「それからはもう、子ども天国(笑)。父親が留守がちだから、うちが不良のたまり場みたいになってました」

 生活は荒れていったが、当時はまだ小学生。子どもらしく、将来の夢を持っていた。

刑事になろうってね。カッコいいじゃないですか。だけど、身内が警察ざたになると採用されないって聞いてね。うちの父親、飲酒運転や酔っ払ってケンカしては警察に捕まってたんで、あーあ、ダメじゃんって。それで、思い切り逆側に振れちゃったんです。だったら日本一の不良になってやる! って

 中学に入ると、不良仲間とつるんでは、夜遊び、万引き、シンナー、タバコと手あたりしだいにやった。警察にも何度も補導され、教師からも見放された。

仲間たちと遊ぶことに全力だった山崎さん(左)
仲間たちと遊ぶことに全力だった山崎さん(左)

 しかし、当時を知る、中学時代の友人・土井山幸代さん(52)は、別の一面を語る。

美香ちゃんは中1からの転校生で、『超ヤンキーが来るらしい』って転校前から噂になるほど有名でした。確かに、制服のスカートはズルズルで、髪型も刈り上げのリーゼント。見た目は怖かったです(笑)。でも、すぐにクラスの人気者になりました。話してて楽しいし、弱い者いじめも絶対にしない、気持ちのやさしい子だったからです

 土井山さんが山崎さんと親しくなったのは頻繁に電話がかかってきたからだという。

「クラスで私たち2人だけ、母親のいない家庭だったので、美香ちゃんは私を選んだんですね。毎晩とりとめのない長話をしました。今でも覚えているのは、『本当のお母さんに会いたくない?』って聞いたとき、美香ちゃんが『会いたくない』って、きっぱり答えたこと。私は当時、母親に会いたかったので、美香ちゃんの強さが印象に残りました

 なぜ、母親に会いたくなかったのか──。

 母親代わりで面倒を見てきた叔母、天方香子さん(73)の話を聞くと見えてくる。

「昔の話になりますが、1度、生みの母親が美香に会いたいと訪ねてきたことがあります。でも再婚して、夫に美香のことを隠してるって言うんで、会ってもお互いつらくなるよって帰ってもらったんです。その話は、美香にも伝えました。あの子が母親に会いたがらなかったのは、お母さんの幸せを邪魔したくなかったからかもしれません」

 幼いころ、継母に冷たい仕打ちを受けたときも、「目から鼻水が出た」と涙を隠し、何事もなかったようにふるまったという。天方さんが続ける。

「中学の卒業式では、後輩たちが『山崎先輩!』って抱きついて別れを惜しんでました。先生方は美香を不良と決めつけてたけど、私は後輩に慕われるあの子を見て、誇らしく思ったほどです」

 中学卒業後は、進路が決まらず、「高校ぐらいは出てほしい」という叔母の希望で静岡の全寮制の高校に入学した。

 だが、「長くは続かなかった」と山崎さんは苦笑する。

そこは紡績工場で働きながら、高卒の資格が取れる学校で、監獄みたいでした。入学してきたのは、私みたいな普通の高校に行けないワルばっかり。で、悪い子同士で仲よくなって、『かったるいから逃げよう!』って、10人くらいで脱走したんです

 入学からわずか2週間で退学して、浜松の不良仲間の家に転がり込んだ。

「それからは、毎日遊んで、お金がなくなったらバイトに行くような、ぐーたらな生活を何年も続けてましたね」