2018年、電通四季劇場[海]へ向かう階段 提供/若林理央
2018年、電通四季劇場[海]へ向かう階段 提供/若林理央
【写真】劇団四季『ライオンキング』と『キャッツ』の迫力満点な舞台ショット!

願いは、かなわなかったけれど

 私の出身高校は芸術分野に力を入れていた。私自身、ミュージカル部に所属して何度か舞台に立った。歌のないお芝居で、全国高等学校演劇大会にも出場した。たった30分の出番でも、稽古は苦しく、本番前は震えが止まらなかった。

 プロはその何倍ものつらさを乗り越え、血のにじむような努力を重ねて本番を迎えている。新型コロナが流行していなくても、大変な世界だ。

 どうして。

 再び心の中で問う。いつまた舞台が中止になるかわからないのに、なぜ彼らは輝きを保てるのだろう。

 終演後、観客は誰からともなく立ち上がった。いつもより大きい音になるように、私も両手を思い切りたたいた。終演後に見たら、赤くなっていた。ともに来場し、初めて『ライオンキング』を見た夫は言葉を失っていた。

「今まで見た舞台でいちばんいいかも」。四季の舞台を見るたびに言うなあと笑いながら、私は赤くなった手を見せ、驚いた夫に言った。

「こんなに素晴らしいもの見せてもらって、チケット代だけじゃ申し訳ないやんな。私たちがほかに贈れるのは拍手しかない」

 大切な劇団の舞台が、また幕を閉じなければならない、なんてことがありませんように。

 そう願っていたが、かなわなかった。今年3月14日、自分自身が新型コロナを発症し入院した。

 劇団四季を見に行ったのは2月6日なので、感染時期とは重なっていない。濃厚接触者は、私の翌日に陽性と診断された夫しかいなかった。2人とも重症にならず入院もできて、不幸中の幸いだと思いつつも、私の価値観は大きく揺さぶられた。

 救急患者を受け入れにくくなっている病院が多いことを知り、また、懸命に働く医療従事者を目にして「医療が崩壊すれば病床がなくなる。新型コロナ重症者はもちろん、ほかの病気の人は、どこで治療してもらえばいいんやろ」と感じたのだ。

 劇場がないと、役者は立つ舞台がなくなる。自分のすべてをかけた大切な舞台が。

 だけど、医療が崩壊すれば、そういった人たちの身にも危険が迫る。病床はどんどんと足りなくなり、私の出身地である大阪は、医療が崩壊した。

 東京の電車はラッシュアワーの際、今でも人が密集しているという。

 このコラムを書いている前夜、マンションの隣りにある公園で、若者たちが深夜に大声を出し遊んでいた。目がさめてベランダから外を見ると、彼らのうち1人は、マスクをしていなかった。

 少しの配慮でできることがされていない中、逆に感染対策をしっかりとしている劇場は、危機に瀕している。

 前述の、劇団四季に入った同級生が、高校時代に音楽の授業で歌ったときのことを思い出す。彼女は誰に対してもやさしく、クラスでいちばん成績がよかったのに、決して自信過剰にならなかった。プロのバレエダンサーを輩出しているバレエスクールに幼いころから通っていると、彼女と仲のいいクラスメイトから聞いた。劇団四季の入団試験は人柄も重視されているのかと思うくらい、見た目も心もきれいな人だった。

 半年ほど前、小劇場の舞台に「やっとまた立てるようになった」と喜んでいた学生時代の友だちの姿が、彼女と重なる。

「今度大阪に帰省したら、見に行くね」

 前はそう返事をしていた。でも、今はその返事が、彼女を傷つけることになるかもしれない気がして怖い。

 テレビを見ていると、東京の街や駅には人があふれている。しかし、今も、劇場は閉まっている。

(文/若林理央)


【PROFILE】
若林理央(わかばやし・りお) ◎読書好きのフリーライター。大阪府出身、東京都在住。書評やコラム、取材記事を執筆している。掲載媒体は『ダ・ヴィンチニュース』『好書好日』『70seeds』など。ツイッター→@momojaponaise