中村さんが靴磨きの地として選んだのは新橋。実は薫さんとの思い出の場所なのだ。

「結婚前、夫に新橋に連れて来てもらったことがあった。有楽町やほかの街で靴磨きをしていたこともあるけど、なんか合わないのよね。すぐ新橋に戻ってくるの」

「私を待つ人がいる」と今日も新橋駅前に

 だが、家族のために懸命に働いていた中村さんに悲劇が襲ったのは新橋で靴磨きを始めて11年が過ぎたころ。'82年(昭和57年)、最愛の夫は肺がんのため58歳でこの世を去った。

 以後、昭和から平成、令和と時代は変わっても夫の面影が残る新橋で靴を磨き続ける。

 そんな中村さん自身も70歳のときに直腸がんが判明。緊急手術のあと、約2か月間入院、1か月ほどの自宅療養のすえに新橋へと舞い戻った。

 さらに昨年3月には、仕事帰りに自転車と接触して転倒。左足の骨を2本骨折する大ケガを負った。その際も、入院3か月ほどで仕事復帰したという。

 大病を患ったり、入院をしても仕事を続ける理由について中村さんは「お金のためじゃない」ときっぱり。

「この仕事は人のためにやってる。“あの常連さんが待ってくれてるんじゃないのかな”って、顔が浮かんでくるの」

 待っていてくれるひとりひとりが中村さんの原動力となっている。

「お金はないけど、5人の子どもは健康で病気もしないでいてくれた、孫もひ孫もできたしそれが財産ね」

 今年7月で90歳を迎える中村さんには夢がある。貯金をして、今度は自分のために使うこと。

「1人でもお客さんが来てくれることがありがたい。それにうちにいたらテレビの電気代も水道代もかかるし、一銭にもならないでしょ。だから身体が動かなくなるまでは仕事したい」

 取材の終わりがけ、20代の会社員の男性が中村さんのところに立ち寄った。

「転勤になったので、東京最後の記念にと初めて来たんです」と緊張しながら教えてくれた。

 靴磨き後、感想を尋ねると、晴れやかな表情ではにかんだ。

「普段なら空き時間にはスマホを見ていますが、今はずっとおばあさんの手元を見ていて、作業に見入ってしまいました。それに靴を通して手の感触が伝わってきて心地よい時間でした。やってもらってよかったです」

 そう話し、仕事に戻っていった彼の背中も、希望に満ちていた。

仕事終わり、中村さんはゆっくりとした足取りでも一歩一歩踏みしめながら雑踏に消えていった
仕事終わり、中村さんはゆっくりとした足取りでも一歩一歩踏みしめながら雑踏に消えていった