初対面で安倍が抱える持病を指摘

 著名なスポーツ選手らが池口のもとで護摩行を行うようになると、いつしかメディアは池口のことを“炎の行者”と呼ぶようになった。だが、池口の名前を世間に知らしめたのは、'13年に起きた『朝鮮総連ビル落札』問題だった。

 千代田区にある北朝鮮の事実上の出先機関とされる『朝鮮総連本部』の土地・建物が競売にかけられたところ、池口が約45億円で落札。その資金の出どころや意図を含め、政界、公安、マスコミ関係者の間では、さまざまな憶測を呼んだ。

小泉純一郎元首相や右翼団体との関わりも深く過去には右翼団体の勉強会で講演したことも 撮影/佐藤靖彦
小泉純一郎元首相や右翼団体との関わりも深く過去には右翼団体の勉強会で講演したことも 撮影/佐藤靖彦
【写真】燃え盛る炎を前に、真言を唱える池口恵観

 池口本人が改めて、落札した意図と経緯を説明する。

「私は『朝鮮総連本部』落札前の4年間に5回訪朝し、北朝鮮側の要人と会談して、日朝関係改善に取り組んでいました。訪朝のたびに要人から“朝鮮総連ビルは北朝鮮にとって事実上の駐日大使館である。強制退去させられた場合、宣戦布告と見なす”と言われていたんです。

 それが現実になれば、日朝双方に犠牲者が出るのは避けられません。日朝友好の促進を祈念する仏教者の1人として、最悪の事態を避けるために必死の思いで応札したのです」

 北朝鮮による拉致問題、核開発疑惑をはじめとした問題が山積し、日朝問題が遅々として進まない中、池口の落札は世間からの批判を集めた。

「寺には落札に抗議する街宣車も来ました。ですが、決して私は北朝鮮の“ダミー”的な立場で動いたわけではありません。私は落札までの訪朝で、北朝鮮は体面を重んじる国だと感じていました。体面を保つことができれば、落札した後に別の場所に朝鮮総連本部を移ってもらい、靖国神社に隣接する本部の跡地とその一帯を再開発し、広く戦没者を慰霊して祈とうする世界平和祈念公園をつくることを構想していたのです。

 民間に払い下げられ、商業的な再開発をされるよりも、跡地に国家プロジェクトとして世界平和を祈るための施設をつくることを北朝鮮側に誠意を尽くして説明すれば理解は得られるだろうと考えていたんです」

 ところが落札は、複数の金融機関から決まっていた融資が反故にされ、約45億円の資金調達ができず、池口は辞退することに。この際、池口は政府関係者や官僚などから金融機関へのさまざまな圧力があったと推測しているという。

 それ以降、政治的な動きはしていないが、池口のもとには今も数多くの政治家たちが相談に訪れる。中でもとりわけ関係が深いといわれているのが、安倍晋三・前首相。池口が「お父さんの晋太郎さんの友人で、父親代わりといわれていた病院の理事長から、議員1期目に紹介されて知己を得た」という安倍との出会いについて振り返る。

「初対面の際、私は“この人はお腹が弱いですね”と晋太郎さんの友人に伝えたんです。誰にも持病を伝えていなかった安倍さんは驚いていました。友人は“安倍さんを総理にしてくれ”と、毎月祈願に来られていました。それ以降、私が上京した拠点に安倍さんがお加持を受けに来たり、さまざまな相談の話をするようになったのです」

 '06年に総理大臣となった安倍だが、1期目には持病の潰瘍性大腸炎の悪化により、わずか1年で退陣。

 その際、安倍は池口に「先生、気力が出ないんですよ」と吐露したという。

 そんな安倍に対して「5年後、また大きな潮目があります。そのときは長期政権ができますから頑張ってください」と伝えた。その言葉どおり、'12年に安倍は首相の座に返り咲いた。

「私には安倍さんのほかにもさまざまな政治家の友人や知人がいます。私には信者も多い。

 昔の大名はお坊さんを後ろに置いていたじゃないですか。私は仏様を拝んでいる人とは誰とでも会いますよ。偏見がないんです。みんなが避けるような人こそ、私のような行者が会うべきだと思っています」