7歳までに大事なことを教える家訓

歌うことが好きなうえに、自分で作詞もするといい、取材陣に『男の道は嵐道』という書き留めておいた歌詞を披露した 撮影/佐藤靖彦
歌うことが好きなうえに、自分で作詞もするといい、取材陣に『男の道は嵐道』という書き留めておいた歌詞を披露した 撮影/佐藤靖彦
【写真】燃え盛る炎を前に、真言を唱える池口恵観

 そんな池口にも夫、父親、そして祖父としての顔がある。

 私生活では1男2女をもうけ、長男は池口の後を継ぎ、現在は鹿児島にある寺の住職を務め、次女も得度した。

「亡くなった妻からは“いけちゃん”って呼ばれていました(笑)。妻とは一緒にカラオケに行ったりしました。妻はさっき歌った『ノラ』が大好きでしたね。長女は歯科医と結婚して、その息子2人は医学の道を進んでいます。次女はパティシエと結婚しましたが、僧侶になりました」

 池口は自身の教育論について、次のように語る。

「家訓として、2歳から7歳までがいちばん大事とされるんです。その間にいろいろと教えると忘れない。私は孫にも行を見せ、自然と頭と身体に染みつくようにしています。仏様に水をあげたり、線香をつけさせたり、7歳までにそうしたお手伝いをさせると、反抗しなくなりますね」

 4月25日、湘南の海にある『江の島大師』。池口が護摩行を行う寺に50名以上の信者が集っていた。不動明王が鎮座するお堂で、池口の護摩壇を中心に弟子と信者が集まり、一心不乱に真言を唱える。取材班が構えるカメラのレンズフードが溶けそうな熱さの中、池口は微動だにせず、印を結びながら真言を唱え、護摩を焚き続けた。

 護摩行を終えた後、筆者はどうしても池口に聞きたかった質問をぶつけてみた。

 ─永田町の怪僧と呼ばれていることは、どう思われているのですか?

 池口は顔に笑みを浮かべたままに、こう答えた。

「誰かが言ったんでしょうね。私は何とも思いません。言いたい人は、何を言ってもいいんじゃないですか」

 炎の行者は、涼しげに受け流してみせるのだった。

〈取材・文/大島佑介〉

 おおしま・ゆうすけ ●アメリカと中国に留学後、'99年より小学館『週刊ポスト』、'04年より文藝春秋『週刊文春』の記者として、殺人事件をはじめとした刑事、公安事件を中心に取材。'19年よりフリーのジャーナリストとなり『半グレと芸能人』(文春新書)を上梓