終戦から76年──。戦争の怖さや苦しさ、悲しみなどを語り継ぐため、過去の週刊女性PRIMEや週刊女性の誌面から戦争体験者の記事を再掲載する。語り手の年齢やインタビュー写真などは取材当時のもの。取材年は文末に記した。(【特集:戦争体験】第9回)

 ◇

「僕が10歳で終戦の年を迎えたのは、大分・佐伯防備隊の軍港からひと山越え、あまり空襲のなかった下堅田村というところでした」

 当時、いまの小学校にあたる国民学校4年生だった高橋照美さん(77)は、いつも“マーちゃん”という同級生と遊んでいた。マーちゃんは農家の息子で、笑うと細い目がより細くなり、一緒に山に登ってアケビや野いちごをとって食べた。

「どういうわけか気が合ったんです。標高約600メートルの山の頂上からは佐伯の軍港が望め、制空権をとったアメリカの戦闘機が山より低いところを飛んで爆弾を落としていくのが見えるんです。滑走路は穴ボコだらけにされて離着陸できなくなり、“あそこはもうダメだ”とか、不謹慎ですが見ていておもしろかったんです」

 終戦1か月前の7月上旬、

「おい、川に泳ぎに行こうや」

 とマーちゃんを誘った。

 暑い日で、ふんどし一丁でイナダをモリで突いていた。