「錦鯉」発掘のきっかけ

上京後、最初に住んだのは立川にある風呂・エアコン・カーテンなしの家賃3万円の8畳一間。築50年でシンクが石でできている昭和感あふれるアパートでした。上京したものの仕事はまったくなく、牛丼店で週5日、深夜アルバイトをして生計を立てていたそうです」(放送作家)

 一方、渡辺は'99年に吉本興業が運営するお笑い養成所NSC東京校の5期生として入学。今ではおバカな長谷川を正す常識人キャラの渡辺だが、養成所時代は今とは真逆の芸風だった。

「卒業前に行われた全体ネタ見せではガスマスクをかぶって登場。かなりとがったコンビがいるなと印象に残っています」(養成所の同期)

 渡辺の養成所卒業からまもなく、母親が事故死するという不幸に見舞われる。

父親を気遣ってか、渡辺さんは現在も実家に住んでいますね。実は、長谷川さんの前相方もコンビ解散後の'18年に病気で亡くなっているんです。つらい経験をしている2人だからこそ、笑いで人々を笑顔にしたいという思いがあるのかも」(前出・放送作家)

 紆余曲折を経て、現在の事務所に所属。同時期に相方を探していた渡辺が長谷川を誘い、'12年に錦鯉を結成した。

「しばらくは芸風を模索する日々が続いていたそうです。そんなとき、事務所の先輩であるハリウッドザコシショウさんに“(長谷川)雅紀はバカなんだから、バカを押し出していけよ”とアドバイスされ、大声で挨拶をし始めると、ウケるようになったそう」(お笑いライター)

ハリウッドザコシショウ
ハリウッドザコシショウ

 ブレイクのきっかけを作ったザコシショウは、今回の『M-1』優勝にも大きく関わっていたようだ。

「準決勝の前にはバイきんぐの2人とザコシショウさんが錦鯉のために時間をつくり、対策を練ってあげたといいます」(テレビ局関係者)

 決勝3日前にも、事務所に小峠英二とスタッフ数名が集まり、極秘ミーティングを行う気合の入れようだった。

「'20年の決勝で披露したネタが、パチンコをやらない人には伝わりづらいと松本人志さんから指摘を受けました。そこで同じ轍を踏まないよう、小峠さんが2人のネタを最終確認。最後に“ライフイズビューティフル”と言ったほうが面白いとアドバイスしてあげたんです。その助言が、まさに優勝を引き寄せました」(同・テレビ局関係者)

 “中年の星”として輝くまでには、長い下積みと優しい先輩との出会いがあった。