「うちが貧乏なのは社会のせいだ」学生時代に資本主義社会を否定する気持ちを抱き、パンクロックでその怒りを爆発させた。だが後に、パン屋を志して人生は一変。鳥取県智頭町で「カビ」を採取して食べながら研究を重ね、日本で初めて“野生の麹菌”だけでパンを作ることに成功する。パンを作れば作るほど地域も環境もよくなる最先端の「地域循環型」モデルとは―?

14年かけて「ホンモノ」に

「天然酵母のパンが好きで、週末はふたりで食べ歩きをしているんです。ここはネットの評判を見て以前から気になっていて、今日、初めて来ることができました」

 兵庫県から車を走らせて来たというご夫婦は、パンの包みを抱えながらそう話してくれた。店の前に清らかな小川を、背後には山を抱く『タルマーリー』には県を跨いで訪れる客も多く、駐車場には他府県ナンバーが並ぶ。店頭販売のみならず、感度の高い小売店での委託販売や通販も含めると、その顧客は全国に及ぶ。

4種の酵母を使い分けて作られた創造的で楽しいパンを販売している 撮影/伊藤和幸

『タルマーリー』店主の渡邉格さん(50)は、29歳で社会に出て、勤めた会社を早々に退職。突如、パン職人を志す。つらい修業を重ね、14年かけて「ホンモノ」と胸を張れる製法にたどりついた。

 パンを作るには小麦、水、塩、菌といった最低限の原材料が必要になる。市販のパンの多くはそこに卵、バター、砂糖などの副材料を加えるが、一切使わない。グルテンが少ない国産小麦を自家製粉して使用するためサクッと歯切れもいい。よって、合わせられる料理の幅も広くなる。

 最大の特徴は野生の菌のみで作ること。特に主力商品の酒種パンには酵母、乳酸菌、麹菌と3種の菌が必要だ。

 野生の麹菌を採取するのは難しく、クリアな里山環境が必須となる。格さんは、参考文献が一切ない中、独学で天然の麹菌を採取することに挑戦。菌の世界にのめり込んだ。

「いろんなカビを採取して、それが麹菌なのか確かめるために味見を繰り返したんです。“父ちゃんはカビを食べる人”と子どもたちに面白がられました。まさか自分でもカビを食べる人生を送るとは思いもしませんでした(笑)」

 舐めた途端に身体中を寒気が走る“ヤバい味”に遭遇したことも1度や2度ではない。結局、野生の麹菌を採取するまでに数年を要した。

 格さんが菌の研究とパン作りに没頭できたのは、店の経営と子育てを妻・麻里子さん(43)が引き受け、支えたからだ。

「まぁ、好きにさせてあげたといいますか。そこで、妻への感謝の言葉なんかがあるといいんですけどね」

「妻には感謝しています、って書いておいてくださいね」

 格さん、麻里子さんが漫才のような会話を繰り広げる傍らで、製造・販売合わせて8人のスタッフと4人の研修生がいきいきと働いている。驚いたことに、彼らは週休2日で年に一度は1か月の有給休暇がとれる。店では、週の初めに1週間分の生地作りをまとめて行い、時間をかけて発酵させる“タルマーリー式長時間低温発酵法”を採用。野生の菌の力を借りた仕込み法が、スタッフの十分な休暇にもつながった。

天然酵母パン 撮影/伊藤和幸

 現在、パン作りの中核を担う境晋太郎さんは、格さんの本を読んで感銘を受け、1週間もしないうちにクライミングのインストラクターを辞職。講演会に足を運び、「ここで働きたい」と直談判の末、妻子をともない北九州から移住してきた。タルマーリーで働き始めて6年目になる。

「野生の菌って毎日違う動きをするので飽きないんですよね。だからこそうまくいかないことも多いのですが、“失敗しました”と格さんに報告すると、“お、これはチャンスだ!”って感じで楽しんでいるように見えるんです。だから前向きに原因を追究したくなる。毎日が楽しいですね。

 お店を海賊船にたとえるなら、格さんがやんちゃな船長で、麻里子さんはルートを読む航海士って感じでしょうか。無謀に思えることも少しずつ実現していっているのは麻里子さんのおかげだと思います。たまに格さんが調子に乗りすぎて、スタッフの前で麻里子さんにすごく怒られているのが面白いです(笑)」

◆   ◆   ◆