泊まる場所がない女性の支援に取り組みたい

 精力的に活動する枝元さんには、その人柄をよく知る古くからの友人がいる。詩人の伊藤比呂美さん(66)だ。

 夜のパン屋さん田町店の販売スタッフには、伊藤さんの“教え子”がいる。昨年まで講師を務めていた早稲田大学で、伊藤さんの講義を受けていたのだ。

「伊藤さんの紹介で、彼女がコロナの影響でアルバイト先を失い困っていると聞いて、販売を手伝ってもらうようになったんです」(枝元さん)

 伊藤さんと枝元さんの出会いは23歳のとき。お互い忙しく、めったに会えないが、伊藤さんいわく「かわいい動画を見つけると、何も言わずに送りつけたりするような仲」。それに対し返事がなくても、気にならない。

「普通の友達より一歩進んで、もう家族のような意識ね。付かず離れず生きてきました」(伊藤さん、以下同)

さまざまな事情を抱え困っている誰かのため、枝元さんは「私に何ができるのか」を考え、思い立ったら即実行してきた 撮影/伊藤和幸
さまざまな事情を抱え困っている誰かのため、枝元さんは「私に何ができるのか」を考え、思い立ったら即実行してきた 撮影/伊藤和幸
【写真】女性客にパンの説明をする枝元さん。『夜のパン屋さん』には、さまざまな人たちが買いに訪れる

 女の友達は執着しないし、楽でいいと伊藤さんは言う。

「最初に会ったときはね、何言っているのかわからない不思議な人だな、という感じだった。親元から離れて暮らしていたし、万事において私より自由でうらやましかった」

 現在、熊本県に住む伊藤さんは、東京に来るたびに枝元さんの家に泊まるのが常だ。若いころ、泊まる約束をしていた日に枝元さんが忘れてしまい、伊藤さんは赤ちゃんを抱いてベランダから侵入したこともあるという。

 枝元さんの家では、「何か(食べるもの)ある?」「あるよ」。そんな自然なやりとりを交わす。

「白菜の古漬けを使ったスープがおいしかった。20年くらい前になるけど、当時は試作品を作っていたのね。あれは1回きりだったかなぁ。あと、ゴボウと牛肉と、卵をオムレツにして、丼にしてくれるんだけど、ほうきの実(とんぶり)を散らすの。すごくおいしかった。私、牛肉は嫌いなんだけどね」

 一見、おっとりした雰囲気の枝元さんだが、「人の知らないところで集中している時間がある」と指摘する。

「昔からぽーっとしている感じだし、それは地なんだと思うけれど、1日に何十品も料理を作ったりするでしょう。その体力、気力はすごいと思う。話し方もゆるやかなんだけど、聞いていると、これ、おもしろいなと思うことを言う。頭は堅くて、いったんこうだと考えると離れない。でも、それがいいふうに動いていて、いろいろな活動につながっているのだと思う」

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 コロナ禍の中で歩みを進めてきた夜のパン屋さん。枝元さんには、まだまだやりたいことがある。

「夜のパン屋さんの田町店は女性スタッフで運営しています。同じ場所で、今日、泊まる場所がないという女性のための支援も、一緒にできないかなと考えています」

 困窮する女性の中には、女性限定の相談会でないと行きにくいという人が少なくない。それが昨年、女性有志による「女性のための生活相談会」が開催された理由でもある。昨年から、都内では何度も女性向けの支援事業や相談会が開かれている。枝元さんも、そこに関心がある。

「田町店では、昼間にもパン屋さんをやってほしいという話が来ています。夜のパン屋さんのお客さんが、昼ごはんにも食べたい、と言ってくれて。フードロスの解消だけじゃなくて、もっと仕事づくりの場として考えられたらと思っているんです。例えば、福祉作業所と連携するとか。今、どうやったら実現できるかなと考えています」

 取材が終わるやいなや、枝元さんは、にこにこおしゃべりをしながら、いつの間にかキッチンにいた。パンの仕入れに同行するためにカメラマンが車を用意している、ほんの10分ほどのことだ。

 いざ出発というときに「はい」と筆者たちに渡してくれたのは、知らぬ間に冷蔵庫にあるもので作ってくれたサンドイッチ。ゆでた鶏むね肉と色とりどりの野菜が詰まっていた。食べ物を余らせたくない。誰ひとり飢えさせたくない─。そんな愛情が枝元さんの活動にはあふれている。

〈取材・文/吉田千亜〉

 よしだ・ちあ ●フリーライター。1977年生まれ。福島第一原発事故で引き起こされたさまざまな問題や、その被害者を精力的に取材している。『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11』(岩波書店)で講談社ノンフィクション賞を受賞