偏見や固定観念に基づくイメージは、広告にも蔓延している。企業などに画像素材を提供する『ゲッティ・イメージズ』の調査では、「子育て」に分類された写真のうち、女性が写った写真は男性が写った写真よりも1・36倍多く選ばれていた。日本だけに限ると、男女の差は2倍に広がったという。“女性はこうあるべき”という思い込みの表現が女性たちにプレッシャーを与え、差別にもつながっていることを自覚しない限り、今後も右の表に挙げたような「炎上」は繰り返されるだろう。

自分が差別したことを認めない

 炎上しても、批判を浴びても、社会的地位を失っても……それでも繰り返される女性蔑視や差別発言。なぜ変わることができないのだろうか。

「表層だけ見て、その裏にある問題、自分の中にある差別意識ときちんと向き合おうとしていないからだと思います。批判されたので謝っておこう、と一過性の対処をするだけ。この言葉はOKだけどこれはNGとか、単純な線引きですませて、なぜそれが問題なのかを考えないから、同じことを繰り返すんですね」

「傷つけてしまったのならば謝罪する」。女性蔑視を指摘され、このような物言いをする男性は多い。だが、「傷つけてしまったのならば」と仮定するのは、自分が差別したことを認められないからだ。社会に歴然とある差別に気づかず、それに自分が加担していることにも無自覚でいられる。これは、社会の中で多数派ならではの「特権」だと太田さんは言う。

「例えば、就職や昇進でも男性は女性よりも明らかに有利だけれど、それを当たり前とする価値観の中で生きていると、その特権にはなかなか気づきにくい。気づきにくいから、特権や差別意識を指摘されると動揺してごまかしたり、ときには逆ギレしたりしてしまうんでしょうね。多数派の特権を自覚することは、その特権が持つ加害性を自覚するということ。これはジェンダー問題だけではなく、すべての差別の問題に通じる重要なカギだと思います」

 自分ではなかなか気づきにくい「多数派の特権」に気づかされるのは、誰かを傷つけ、それを指摘されたとき。認めるのは苦しくても、そこからでなければ始まらない。政治家や社会的責任がある立場の人間ならば、なおさらだ。

政治家差別発言を許さない。きちんと批判し、選挙で落選させなければ。ホモソーシャルな政治を変えるためにも、女性議員をもっと増やさなくてはいけないですね」