出所者への根強い差別と偏見

 年配のスタッフが多い中、若手として重宝されているのが泉丈二さん(44)だ。自分の車で入所者を迎えに行ったり、「止まり木」から独立するときは引っ越し先に荷物を運んだり。「止まり木」の入所者を対象とした保護司も務めている。

 大塩さんと出会ったとき、泉さんはまだ20代だった。会社勤めをしていたが、子どもが生まれ、収入の足しになればと思って買ったアパートがまさかの不良物件。入居者を探すため「アパートに入りたいけど入りにくい人」にスポットを当てて検索。ヒットしたのが大塩さんのいるホームレス支援団体だった。

 自分で会社を立ち上げてからは大家として多数の物件を所有。「止まり木」で使用している家屋もそうだ。「止まり木」を出た人から要望があれば、家具や電化製品付きの部屋を安価で貸している。泉さんはこの活動になくてはならない存在なのだが、あまり表には出たくないのだと戸惑いがちに語る。

「例えば地元の新聞などで『止まり木』が紹介され、僕の顔も出たとするでしょう。それで僕がアパートの大家だとわかると、“え、もしかしてこのアパートも出所者がいっぱい入っているの?”と思われたりする。“おまえがそんな活動をするから、地域のイメージが悪なっていくんやろう”と近隣のマンションの大家さんから言われたこともあります。実際は所有している物件の9割以上は、一般の方が住まわれているんですが」

 罪を償っているのに、出所者というだけで根強い偏見や差別感情があることを肌で感じている。そこまで社会が成熟していないということだが、服役した過去を知られたくない人もいるだろうと考えれば、活動の周知にも慎重にならざるをえない。

「止まり木」の活動には一軒家を使用しているが、女性も受け入れるため1年ほど前に2軒目のホームをオープンした。しばらくして近所の人たちから「ここはどういう場所ですか?」と聞かれたことがある。室内は禁煙にしているため玄関先で行儀の悪い格好でタバコを吸ったり、入れ墨を入れている人もいたからだ。

 自立準備ホームだと明かすことを泉さんや数人のメンバー、保護観察官は反対したが、大塩さんら残りのメンバーは賛成と意見が分かれる。最後は大塩さんが、「こそこそするのは日陰の身みたいでイヤ。正面突破したほうがいい」と決断した。

「若いスタッフも増やして支援の幅を広げたい」と語る泉さん 撮影/伊藤和幸
「若いスタッフも増やして支援の幅を広げたい」と語る泉さん 撮影/伊藤和幸
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 結果、近所の人たちの理解も得られ、入所者に「おはよう」と声をかけてくれる人や差し入れをくれる人もいて、いい関係を続けている。それでも、泉さんは心配をぬぐえないと話す。

「大塩さんと直接会って話を聞いた人は納得されていると思いますが、また聞きで知った人などが、誤解しないといいのですが……」

 泉さんにはほかのスタッフとは違う苦悩もある。入所者は次々と入れ替わり、「止まり木」を出たら基本的に支援は終了するが、泉さんには終わりがない。

 大家と借家人の関係がずっと続く人もいるからだ。ホームレス支援をしていたころ、自分の持つ物件に入居した被支援者の男性が孤独死したこともある。

 それだけ大変な思いをしても、この活動を続けているのはどうしてか。嫌になることはないのかと聞くと、しばらく考えて答えた。

「再犯して収監された人が住んでた部屋を片づけるときがいちばんむなしいですね。これ、ずっとやっていくんかなーと。ただ、僕の場合、面倒なことをすることへのハードルは、普通の人より低いと思います。

 うちの母親は精神障がいがあったのか昔からぼーっとしとって、親父が仕事も家事もおかんの世話もするのをずっと見てきて、僕も親父と一緒にスーパーに買い物に行ったりしよったので。“おまえのおかんはアホやな”とバカにされたりもしたので、いちいちイラッとしないし、障がい者に関わるのも、それほど苦になりません」