“一人前”の定義を決めて24歳で独立を果たす

 転職先でもいちばん若手。再び下働きからのスタートだ。

「ひたすら洗い物、ゴミ掃除、そして出前。包丁に触れる機会は減ってしまった。でも下働きの中でも何か見いだせることがあるはず、と前向きな気持ちで仕事に励んでいましたね。

 例えば洗い物のスキルが上がれば、調理場がいつもきれいで作業効率が上がる。それに家でも、料理しながら洗い物を終えることができるようになり、食後に大量の洗い物をしなくてすむ。これは今でも妻に感謝されます(笑)。下働きで身につけた手際が役に立っているんです」

 東京の寿司屋は、やはり刺激的だったという。

「寿司職人はみんな勝負しにきてる感じで、本気度が違う。技術はもちろん、所作も洗練されている。お客さんも粋な人が多い。高い水準の中に身を置き、学ぶことが多くて大変でしたけど楽しかった」

“握らない”たこの握り寿司 撮影/伊藤和幸
“握らない”たこの握り寿司 撮影/伊藤和幸
【写真】海の上で寿司を握る様子。釣りたての魚をその場で寿司に

 ここでもまた人生に影響を及ぼす出会いがあった。

「後にも先にも『こんな人、見たことがない』というほどの圧倒的な技術とスピードを持つ先輩がいたんです。言葉で説明するのは難しいけど、まず所作が美しい。ネタを切って、寿司を握って、お客さんにお出しする。一連の流れは伝統芸能を見ているみたいで。

 それに、同じ寿司ネタでも味が違うんですよ。よく切れる長~いピッカピカの包丁で、その先輩がスーッと切ったヒラメはやっぱり違う」

 トップレベルの板前を目の当たりにした岡田さんは、自信を失いかけたという。

「レベルが高すぎて、何年修業しても自分は追い越せないだろうな、と。僕には、一人前になって独立したいという目標があった。でも、その先輩の技術を求めたら一生かかってしまう。ただ世間には、その先輩ほどの技術がなくても独立している人はたくさんいる。一人前の定義ってなんだろう、と悩み始めたのです」

独立して自宅マンションで酢飯屋を始めたころ
独立して自宅マンションで酢飯屋を始めたころ

 答えを求めて、周りの先輩たちに「一人前とは、どういう状態ですか」と聞いて回った。

「技術的なことを口にする人もいれば、家族を養えるようになれば一人前だと言う人も。みなさん最後には『一生修業だ』とおっしゃる。確かにそうなんですが、具体的な定義がないと独立に向かえないので、自分で決めたんです。

 食材を自分で調達する。その食材を調理する。お客さんを自分の力で呼ぶ。お客さんが『おいしかった』とお金を払ってくれる。この全工程を1人でできたら一人前!と」

 手始めに休日に試した。

「家に友達を呼んで寿司パーティーを開いたんです。会費3000円で。ピザを頼んでも1人当たり2000~3000円しますから、その値段で豪華な寿司を握ったら、みんなが喜んでくれて。人が人を呼び、参加者が増えていきました」

 これなら独立できる! と手応えを感じ、24歳のとき、八丁堀の自宅マンションの一室で紹介制の寿司屋を始めた。