DNA鑑定でわかった出生の事実

 それは体調不良に苦しんだチヨ子さんが、駆け込んだ病院で受けた血液検査がきっかけだった。

「ただの更年期障害だったんですが、検査をしたら、母の血液型がB型であることがわかったんです。それまではA型だと思っていたのに」

 父の血液型はO型で、江蔵さんはA型。通常、B型(チヨ子さん)とO型(董さん)の両親から、A型の子どもが生まれることはない。

「それで近所の病院に3人で血液型を調べに行った。両親には生物学的におかしいということを伝えましたが、“そんなことを言われてもねえ、わからないよ”と、そんな反応をしていましたね」

 突如として湧き上がった疑問と不安……。叔父に“おまえは両親のどちらにも似ていないな”と言われた記憶がよみがえる。不安を打ち消そうとするかのように、江蔵さんは新聞で目にしたある記事にすがりついた。

「新聞の夕刊で、遺伝子変化で、うちと同じB型とO型の両親からA型の子が生まれたという記事を見たんです。それでうちも、遺伝子の変化があったんじゃないか、と」

 “記事と同じことがわが家でも起こった。そうに決まっている”と、江蔵さんは信じたかった。

 2004年、思いがけない形で回答がもたらされる。

「体調を崩して、近所のクリニックに行ったんです。そこで先生に新聞で読んだ話を参考に、“私はこういう事情で特殊な血液型のようなんです。それで体調が悪いんでしょうか?”と話をしました。すると先生が興味を持ってくれて、九州大学の法医学の教授に話を持っていってくれたんです」

 話を持ちかけられた教授も、同じ新聞の記事を読んでいた。「それで“(江蔵さん一家の)血液を調べてみたい”と言われ、DNA鑑定を受けることになりました。教授が助手をつれて、東京まで両親の血液を採りに来てくれて。それから2週間後、鑑定の結果、どちらの親とも血縁関係がないと言われました」

 出生の事実を知った瞬間、江蔵さんは「頭が真っ白になった」という。

江蔵さんが出生の事実を知ったのは39歳のとき。以来、実の親を知りたいという思いを募らせている 撮影/伊藤和幸
江蔵さんが出生の事実を知ったのは39歳のとき。以来、実の親を知りたいという思いを募らせている 撮影/伊藤和幸
【写真】台東区に暮らしていた江蔵さん一家。母チヨさ子さんは、子どもの「顔だけでも見たい」と語る

 このとき江蔵さんが受けた衝撃は、精子提供など生殖補助医療で生まれた子どもの体験とよく似ている。その気持ちを、非配偶者間人工授精(AID)をめぐる問題に詳しい、元慶應義塾大学准教授の長沖暁子さんが解説する。

「養子縁組の家庭では、子どもが言語を身に付けるのと同時期に“血縁上の親は別にいる” “それでも私たちはあなたを愛情を持って育てている”と教えられて育つと、それほど大きな混乱は生じないといわれています。

 ところが、江蔵さんは大人になって事実を知ったわけで、とても大きな衝撃だったと思います。これは、ひとつひとつ積み上げてきた人生が突然、根底から崩れ落ちるようなもの。寄って立つべき場所がわからなくなり、親との関係をはじめ、すべての人間関係をつくり直さなければならなくなる。それぐらい、その後の人生に大きな影響を及ぼします」

 足もとが崩れ落ちるような衝撃に襲われる一方で、“事実を知りたい”“本当の親を知りたい”という、強烈な思いがこみ上げてきた。両親や弟にもDNA鑑定の結果を報告したが、江蔵さんとは対照的な反応を見せたという。

「母は、ただただびっくりしていましたね。父と弟は“いまさら(取り違えられた相手に)会って、どうすんの?”と。そういった反応でした」

 そのあと、弟が言ってくれたひとことが、心に今も残っている。

「弟が、“兄貴は1人でいいよ”と言ってくれて……」

 “自分にとっての「兄貴」は共に育った江蔵さん、ただ1人。いまさら別の人を兄といわれても受け入れられないよ”と、そう話してくれたのだ。

「いまさら」と言った弟の真意がとてもうれしくて、気持ちが楽になった。だが一方で、江蔵さんが実の親を知りたいという強い思いはみじんも揺らぐことはなかった。

 産院で別の赤ちゃんと取り違えられたのではないか──。そう考えた江蔵さんの、現在まで続く長い闘いが始まった。