エリート集団の中で初めて味わった挫折

「おまえ元気いいな。東京に行ってこい」

 ある日、NTT九州の総支社のお偉いさんに呼ばれ、そう言われた。

「おまえな、九州でいちばん数学ができるやつということになっているから」

「え?私、サインコサインタンジェントもわからない人間なんですが」

「いいから行ってこい。3年したら戻すから」

 要は全国のNTTの支社の陣取り合戦だった。だから、九州からも出世コースに人材を送り込む必要があったのだ。

 赴任したのは、東京のNTT本社の労働部。36万人のピラミッドのトップ100人の中に入れられたのだ。

「周りは東大、京大卒だらけ。こんな色の黒い男なんて1人もいなくて、みんな色白で七三分けでメガネかけてメタボみたいな感じでした(笑)」

 与えられたポストは、「年金数理人」。年金制度を数学の知識を使ってアドバイスやコンサルティングを行うスペシャリストだ。

 名刺ができたら、当時の大蔵大臣だった橋本龍太郎氏と名刺交換に行かされた。

「とんでもないところに来ちゃったな」

 周りはエリートだらけ。彼はその中でも最年少だった。

「みんな“さん”づけで聞いてくるんですよ。数学の問題なんかを。でも、私はわかんないから“わかんないですよ”と言うと、“またまたぁ”と言われる。それが半年続きました。でも、半年そうしてたら“あ、こいつ馬鹿なんだな”とみんな気づくんですね。バレちゃった(笑)

 厚生省(当時)と大蔵省を往復する毎日。会社には当たり前のように寝袋があり、毎晩のように泊まっていた。

「寝袋の中で、もう人生終わったな、と思いましたね。何でもできる自分だと思っていたのに、こんなにできないんだと思い知らされました」