人気企業のNTTに就職、配属は──

 この当時、就職先の人気ナンバーワンは、この1年前に電電公社から民営化されたNTTだった。

 特待生で成績も良かったサトシは、幸運なことにNTTに入社した。

「最終面接では面接官が履歴書を見て“お、君スペイン語が話せるのか。ちょっと喋ってみなさい”と言われた。でも覚えたものをすぐに忘れる性分だったんで、全然出てこない。

 それでパッと閃(ひらめ)いて、“ミルマスカラス・エンリケベラ……”とかメキシコのプロレスラーの名前10人くらい並べて、みなに“おお!どういう意味?”と聞かれて“明日。あなたに会えるとうれしいです”とか適当なこと言って(笑)。そんなわけで、とんとん拍子でNTTに入れることになったんですね」

 入社して配属された鹿児島の支社での仕事は、出納係。

NTTの会社員時代。トップセールスマンから、畑違いの労働部まで、波瀾万丈な時期だった
NTTの会社員時代。トップセールスマンから、畑違いの労働部まで、波瀾万丈な時期だった
【写真】ホノルルマラソンを袴・高下駄で走ったGETTAMANさん

「レジを打って電話料金を収納して午後3時に仮締めをやるんだけど、必ずお金が合わない。10円、50円、100円とか。だから小銭をポケットの中に入れといて、補充してたんですね。

 そしたら経理担当の先輩に“ダメよ、こういうのは事故金としてあげなきゃいけないの”と言われて。でも、事故金だらけで自分でも嫌になっちゃって、“やっぱ向いてないな”と

 そしてあろうことか、局長に「僕はNTTに入ったのに、ここはまだ電電公社のままですよ。親方日の丸のこういう仕事はやりたくない」と会社のせいにして訴えたのだ。

 その翌日、サトシは「アカウントマネージャー」、通称“アカマネ”になれと命じられる。つまり営業マン、セールスマンだ。そして、鹿児島市内のマーケティングセンターに転勤となる。ここは100人ほどの営業マンが所属する場所だった。

「そこでは、ファクスやビジネスホンを売る仕事でした。ノルマもあったけど営業は性に合っていましたね。本当に花開くみたいな感じでした

 自分と同じくらいの若い経営者が営む店舗、美容室や喫茶店をターゲットにし、ピンク電話をプッシュ回線にする営業も仕掛けていった。自分でキャンペーンのチラシを作り、「取り付け無料」にして鹿児島市内全域を車で回った。

 そして目をつけたのが、当時チラホラと出店し始めていたコンビニだった。

 ファクスをコンビニに置いておけば、トラックの運転手、学生、ビジネスマンなどいろんな人が利用して、ついでにいろんなものも買うんじゃないか─

 そこで福岡にあったコンビニの本部に出向き、鹿児島の2店舗にファクスを取り付けさせてもらった。そして、会社に戻ると100人の営業マンの前で「みなさん、そのコンビニでお弁当などを買って売り上げに貢献してください」と告げたのだ。「ファクスを置けば売り上げが伸びる」という実績を作り上げ、コンビニファクスは、瞬く間に広がり、彼は九州ナンバーワンの営業マンになった。

「営業車に通信機器を積み込み、それを売り切るため退社時間の17時に会社に戻るまで、営業マンとして多角的な角度から企画提案をする。そんな毎日は本当に楽しかった。

 屋久島で自然の中にいて人と絡むことなんてなかった私が水を得た魚のように営業にハマった。この生活が一生続くんじゃないかと思ってました。やっとユートピアに出会えたなあと」

 そんな時期にサトシがよく行った店が、屋久島出身の女性が鹿児島の繁華街で営んでいたイタリア料理店だった。

 その彼女がサトシに言った。

「いい?あなたね、こんなところにいたらダメよ。あなたは東京に行きなさい。そして、海外に行きなさい」

 その時は、何を言っているのだろうと思った。しかし、その予言めいた言葉は現実のものとなるのだ。