人生を変えたトライアスロンとの出会い

 疲労困憊(こんぱい)していたある日、会社の売店にあった雑誌が目に留まった。

『ターザン』。フィットネス専門雑誌である。

 パラパラとページをめくると「トライアスロン・鉄人レース」という言葉が目に飛び込んできた。

 (鉄人?はあー、これいいなあ。鉄人、やりたいなあ)

 そう思いさっそくエントリーしてみた。

 金曜日の夜。レンタカーを借りて、日比谷から千葉にある会場に向かった。『ターザン・カップ』という大会が翌日開催されるのだ。

 トライアスロンとは、水泳・自転車ロードレース・長距離走の3種目を連続して行う耐久競技。別名「鉄人レース」で、世界中に愛好家がいる。

 よくわからず、とにかくガムシャラに挑戦してみたら、日本で2位のプロの選手を破り優勝してしまったのだ。

自分自身もわからないまま、トライアスロンで日本を代表するアスリートとして注目を集めるようになった。子ども時代からの鍛錬がここで実を結ぶことに
自分自身もわからないまま、トライアスロンで日本を代表するアスリートとして注目を集めるようになった。子ども時代からの鍛錬がここで実を結ぶことに
【写真】ホノルルマラソンを袴・高下駄で走ったGETTAMANさん

「中学2年生からずっとトレーニングやってきたけど、自分がどれくらいのレベルなのか、一切わからなかった。だって、それまで体力測定なんてしたことなかったんですから」

 この快挙に注目した雑誌『ターザン』は、サトシに雑誌のモデルを依頼してきた。そこからサトシは誌面を飾るようになる。ある日、それが会社の知るところとなった。上司に呼ばれて行ってみると、彼は『ターザン』を手にして、

おまえ、数学できないのにこういうことはできるのか?こういう方向に行きたいのか?」と静かに言ったのだ。

 NTTには、健康に関する会社もあった。結局、九州のトップと東京のトップが話し合い、サトシをNTTのフィットネスクラブの支配人にさせることとなった。

 この当時、フィットネス業界は全国で1700か所、3000億円のビジネスだった。それぞれ平均すると1億5000万円の売上高である。しかしNTTのフィットネスクラブは、福利厚生施設だったために売り上げは5000万円だった。

 まったく畑違いの現場に放り込まれた彼は、朝から晩までスタッフたちの話を聞いて回り、その後、自分で運動生理学、栄養学やフィットネス事業などの本や資料を読みまくった。調べていくと、ここの会員数は一般のフィットネスクラブに比べて3分の1。その原因は退会率の高さ。通常なら10~15%のところ30%もあったのだ。

「入会者はそんなに変わらないから、この出口を閉じればいいんだ」

 思いついたのが、クラブの中にあるジム、プール、エアロビクスの3つのゾーンを使うチャレンジトライアスロンだった。水泳で1キロメートル泳ぎ、トレーニングジムで自転車を漕いで、エアロビクスのゾーンで10キロメートル走る……。

「とにかくオートクチュールで会員との距離感を縮めてやったほうがいいなと思った。そしたら4年間で4億円の売り上げになった。8倍になったんです

 次に企画したのが、実際にトライアスロンに会員が挑戦してみることだった。

 そうこうしているうちに、日本屈指の佐渡国際トライアスロン大会に出場することに。最初の水泳3・9キロメートルは通常はクロールだが、平泳ぎしかできず、1000人中996位。ところが自転車196キロメートルでとんでもないスピードを記録し16位。そして最終のランニング42・195キロメートルで追い上げ結果は7位だった。

自分自身もわからないまま、トライアスロンで日本を代表するアスリートとして注目を集めるようになった。子ども時代からの鍛錬がここで実を結ぶことに
自分自身もわからないまま、トライアスロンで日本を代表するアスリートとして注目を集めるようになった。子ども時代からの鍛錬がここで実を結ぶことに

『ターザン』、そしてこの佐渡での快挙は全国的に知られることになり、さまざまな雑誌で取材を受け、一躍有名人となっていく。

 仕事でもまさに「結果」を出し、社員の給料や待遇も改善できた。そんな時に、NTTの構造改革があり、社員の給料や待遇が一律になるという。そこで彼の中に「独立」という言葉が浮かんできた。

「専門特化した健康増進事業をやる会社を立ち上げよう」

 スタッフに聞いてみると、全員自分についてきてくれるという。自分が会社を作って委託を受ける─その話を会社に言うとけんもほろろだった。しかし、サトシには自信があった。絶対できると信じていた。