雅子さまが仕切られた食事会

 その時まで、陛下のご会見では、必ずと言ってもよいほど、雅子さまのご懐妊に関する質問があった。陛下はその都度、「コウノトリのご機嫌次第」と笑いながらお答えになっていたが、雅子さまもやっと授かった我が子を見て、万感の想いがおありになったのだろう。私はその時の雅子さまが流された涙と同じ涙を、即位礼国民文化祭で二重橋の上に見た。同じお気持ちだったのであろう。

 平成16年5月、陛下は、デンマーク・ポルトガル・スペインご訪問に際しご会見を開かれた。その中で陛下は、「雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と述べられた。

 なぜこのようなことを、突然ご会見で述べられたのか。その発端は平成9年の夏に遡る。両陛下はこの年、福島県裏磐梯高原にご静養のため行啓され、東急系列のホテルでご静養をされていた。偶然にも私の一家もこの年、裏磐梯でキャンプをしていた。

 その年の7月ごろだったと思うが、私が「夏は裏磐梯でキャンプをして、可能ならば磐梯山登山をしたいと思っております」と申し上げると、陛下は「僕たちも裏磐梯に行くんだよ。向こうで会えたらいいね」と仰られた。詳細は『ご成婚20周年記念号』(主婦と生活社刊)に寄稿したので割愛するが、貸切りのホテルに招かれ、大変なご馳走を頂戴した。すべてを雅子さまが仕切られ、愚息の好みやアレルギーなどを東宮女官を通じ、何度もお問い合わせをいただいた。

 東京に戻ってから、「せっかく我々が用意した、ご懐妊のためのご静養を学友一家が訪れて邪魔をしに来た」と侍医が記者会で述べたらしい。これには陛下も激怒されたようだ。

平成9(1997)年の夏、福島県の裏磐梯高原にあるホテルで両陛下と面会
平成9(1997)年の夏、福島県の裏磐梯高原にあるホテルで両陛下と面会
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 このころから、宮内庁のプレッシャーが雅子さまに降り注ぎ始めたのだと思う。宮内庁長官が正式に、「皇太子妃殿下には、速やかなご懐妊を」と口に出す事態となった。さらに、雅子さまの外国訪問が閉ざされ始め、陛下の突然の会見に繋がったのではないかと思う。

 鴨場で陛下が雅子さまにプロポーズされた「外交官として仕事をするのも、皇族として仕事をするのも同じ」この言葉が雅子さまを追いつめることに繋がった、と陛下が思われ、あの会見になったのであろう。さらに時が経ち、愛子さまと雅子さまへのバッシングの火種になったかもしれない。

 この間の苦しみに耐え、そして迎えた令和の時代。即位礼正殿の儀において、御帳台に凛として立たれた雅子皇后陛下。私は万感の想いで、そっと目頭を押さえた。

●乃万暢敏(のま・のぶとし)
評論家。1959年4月生まれ。学習院初等科より中等科、高等科を経て、同大学卒業。同大学院人文科学研究科に学ぶ。皇太子さまのご学友。現在は、東京・田園調布のマンツーマン学習指導会「グレイススタディケア」塾長。YouTube「評論家 乃万暢敏チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCEcAs-nkKXGn7583rVjwJqw/featured

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