50周年コンサートは故郷の地で

2月17日に浅草公会堂で行われた『夢コンサート』では、カバー曲のほかに『みずいろの手紙』を披露すると客席はあべの歌声で“あのころ”にー
2月17日に浅草公会堂で行われた『夢コンサート』では、カバー曲のほかに『みずいろの手紙』を披露すると客席はあべの歌声で“あのころ”にー
【写真】「すごい可愛い子」と評判だった高校時代のあべ静江

「病気をしたことによって、身近な仲間をより大事にしたいと思いましたね」

 とあべは言う。プライベートの大切な仲間が集まり、できたのが『ミニミニ三重県人会』だ。東京在住の同郷の友人たちと飲んでいるうちに、輪が広がっていった。

 レーシングドライバーの草分けで現在トムス会長の舘信秀さん(75)もメンバーのひとり。

あべさんとは共通の友人を通して知り合って、もう30年くらいになるかな。デビューのころは、僕も憧れの目でテレビを見ていたけれど、実際会ったら、まったく芸能人っぽくない、庶民的でフランク。彼女は頭がいいと思うな。周りの状況をパッと判断して対応できる。思いやりがあり、面倒見もいい。僕が仕事で芸能人の方とコンタクトを取りたいときなど、お願いすると快く引き受けてくれます

 仲間内でも「サービス精神旺盛」だと舘さんは証言。

「2次会でカラオケに行くと、リクエストに応えて歌ってくれるんです、『みずいろの手紙』を。歌手の方って自分の歌を歌うのをイヤがる人が多いんだけどね。僕らにしたら、ただでライブを見ているようなもの(笑)。感動しますよ。

 県人会は20人ぐらいいるのかな。コロナ禍前までは年に4、5回会っていました。みなさん忙しいのに集まるのは、やはり楽しいからですよ。その中心にいるのが、あべさん」

 前出の坂さんも県人会のメンバーであり、あべと交流を続けている。

「知り合って50年以上になるけれど、あべさんからグチや弱音を聞いたことがない。いつもアグレッシブで、何か目標を持っている。“今度こういう活動をするの”“今度◯◯さんを紹介するよ”とか、前向きな話ばかり。そこは本当に尊敬しますね」

 故郷のつながりを大切にするあべ。デビュー50周年の記念コンサートの地に、真っ先に選んだのも出身地、松阪だ。

「もともと40周年のときに、故郷への恩返しの思いを込めてワンコイン(500円)コンサートを開き、45周年まで続けていました。それを今年、デビュー月の5月に開催します。松阪市や協賛してくださる企業、地元のボランティアの方など多くの力を借りて、準備を進めているところです」

 あべは現在『松阪市ブランド大使』を務めている。

「松阪っていっても松阪牛しか思い浮かばない人もいるでしょ? 松阪木綿、お茶、お米、みかん、魚……自慢できるものがいっぱいあるの。それをイベントやブログ、SNSなどでアピールして、みなさんに親しみを持ってもらうのが私の役目です」

 故郷への愛は、両親への思いとリンクする。

「デビューして上京したころ、父が“故郷を忘れるなよ”“三重や松阪から目を離すなよ”と耳にタコができるくらい言っていたの。当時はうんざりしていたけど、いつからか、その言葉が心に響くようになったんです。

 松阪のイベントに呼ばれると喜んでお仕事をお引き受けしていました。'12年に『松阪市ブランド大使』に選ばれたときは飛び上がるくらいうれしかった。でも、父は前年に亡くなり“遅い! もう1年早かったら……”という思いも。生きていたらどんなに喜んでくれたことでしょう

 母は2013年に亡くなり、その年に『みえの国観光大使』にも任命された。

「両親に引っ張ってもらっている感じがしますね。松阪で50周年コンサートをする私の姿も、きっと見守ってくれると思います」

<取材・文/村瀬素子>

むらせ・もとこ 映画会社、編集プロダクションを経て'95年よりフリーランスライターとして活動。女性誌を中心に、芸能人、アスリート、文化人などのインタビューのほか、映画、経済、健康などの分野で取材・執筆。