離れていく父親との心の距離

 その後、発達障害の弟を連れて、母は東京から近県に越していった。問題行動を起こすようになった弟を受け入れてくれる学校へ転校させるためだった。ナナコさんは祖母と一緒に住むことを選んだ。心の奥には父への期待もあった。

「その後、父が帰ってきたんです。ずっと待っていたのに帰宅したのは真夜中だった。しかも酔っ払って……。まっすぐ帰れなかったのかもしれないけど、中学生の私は許せなかった。人の気も知らないでと憤っていました」

 そこから祖母と父との3人の生活が始まったが、長くは続かなかった。父とナナコさんが決定的にぶつかってしまったからだ。

「何かのきっかけで私が怒ったら、父が自分の向精神薬を飲ませようとしたんです。大ゲンカになって、土砂降りの中、裸足で飛び出して逃げました。でも、父が合羽も着ずに自転車で爆走しているのが見えて、さらに逃げて。そうっと自宅に戻ったら母が来ていて、父は自室にこもっていました」

 父との心の距離がどんどん離れていった。父は心配して自転車で走り回ってナナコさんを探したのだろう。だがナナコさんは、つかまったら殺されるかもしれないと怯えた。そして父とは一緒に暮らせないと決断する。翌日には教師に転校を伝え、自分で住民票を取りにいって転出、母と弟が暮らす県へ越し、中学生最後の半年あまりを過ごす。

「推薦で県立高校に入学したものの、やる気が起こらず、学校をサボってばかりいたんです。3年生の夏に、このままだと留年だと言われました。祖母に“高校だけは卒業して”と懇願されて、通信制にかわりました」

 なんとか高校を卒業したが進学も就職もせず、図書館に通う日々だった。一時期、コンビニでアルバイトをしたが、その店が半年後に閉店して無職に。その後、父がまた捕まったと聞いて祖母の家で暮らし始めた。

「祖母が健康を害していたので、ほぼ介護要員として一緒に暮らしました。3か月だけ地方で働いたことがあるんですが、嫌になって戻ってきてしまった。そのころから何年にもわたって希死念慮がつきまとうようになりました」

 たまたま早朝、近所のお寺の前を通ったら本堂で住職たちが朝のお勤めをしているのに出くわしたことがある。彼女はそれに参加させてもらうようになった。寺から図書館へ直行して、「自殺のための本」を読むのが日課となった。

「街じゅうのあらゆるものが、自殺のための道具に見えていました。このマンションの最上階から飛べばいけるな、とか。あそこの川の橋にロープをかけて……とか」

 そんな経緯を経て、自殺は結局、賭けだと悟った。失敗したら後遺症が残る可能性も大きい。ナナコさんは、死ぬ気をなくしていく。

 とはいえ、生きる気力が湧いたわけでもない。“なんとなく”祖母の面倒を見ながら月日が過ぎていき、父が戻ってくるとわかると、母の元へ身を寄せた。

「21、22歳のころ、母のところで毎日、だらだらと寝ていました。近くの理容院で働く母は、昼になると店でとったお弁当を持ってくる。私が寝ている部屋のふすまを少し開けて“はい、出前だよ”と。自分は冷蔵庫の残り物を食べていた。母のあっけらかんとした明るさに救われました」

 母との関係も決して良好ではなかったのだが、彼女は母の美点は美点として認めている。