仕事にのめり込むも、子宮筋腫に

インドの列車事故で骨盤骨折し、全治6か月だった。子宮筋腫、骨折事故、そして乳がんと苦難が続いた
インドの列車事故で骨盤骨折し、全治6か月だった。子宮筋腫、骨折事故、そして乳がんと苦難が続いた
【写真】涙を流してカメラを向けた母を看取った際の、父と母の別れのシーン

 連日事務所に泊まり込んで仕事漬けの日々。独身のまま忙しいが充実した30代が過ぎ、40歳を越えると、立て続けに厄難が─。

「すっごい仕事が楽しかったので、あんまり無理している気がしなかったけど、身体は悲鳴を上げていたんでしょうね。もともとうちの家系は婦人科系が弱いんですよ」

 '05年、43歳のとき子宮筋腫で子宮を摘出。翌年、インド旅行中に列車事故で骨盤骨折の重傷を負い、半年かけて復帰したら、45歳で乳がんになってしまう。

「なんで私ばかり……これからどうなるんだろう」と怖くてたまらなかったが、乳がんの手術を終えて生還すると、考え方が変わったそうだ。

「あ、生きてるだけで幸せなんだ、と思えたんですよね。それまでは家庭を持って子育てしている同級生への妬みとか焦りとかがすごくあって、自分で自分を苦しめていた部分があったんです。それが乳がんのおかげで幸せのハードルが下がって、心穏やかに過ごせるようになった。たぶん再発とか転移がないから、言えることだと思いますけど」

乳がん闘病のときの信友直子さん
乳がん闘病のときの信友直子さん

 乳がん闘病の際は自分にカメラを向けた。手術を前にめそめそ泣いて母に慰めてもらう様子や抗がん剤治療で髪が抜けた姿などを撮影。『おっぱいと東京タワー~私の乳がん日記』(『ザ・ノンフィクション』フジテレビ系)という番組にまとめた。最後まで悩んだのは、手術で形が変わったバストトップの映像を出すか出さないか。

「嫁入り前だし(笑)。でも、今まで取材でこんなことまで聞くの?というくらい相手を丸裸にしてきたわけじゃないですか。なのに自分の裸はNGですとは言えないかなと。そこは覚悟して出してよかったと思います」

 '09年に放送された同番組はニューヨークフェスティバル銀賞、ギャラクシー賞などに輝く。その翌年、身体への負担を考えて、制作会社を辞めてフリーになった。

抗がん剤で抜け落ちた髪の毛を母がコロコロで取ってくれた
抗がん剤で抜け落ちた髪の毛を母がコロコロで取ってくれた

「娘が撮った母の認知症」がテレビで放映

1作目の映画が公開されたころ、父母と3人で。公開後もカメラを回し、続編が製作される
1作目の映画が公開されたころ、父母と3人で。公開後もカメラを回し、続編が製作される

 母の異変に最初に気がついたのは'12年の春だ。電話で話していると同じ話を何度も繰り返す。帰省して病院で検査を受けさせたが、そのときは診断がつかず、アルツハイマー型認知症と診断されたのは'14年1月だ。

 そこからが本当の苦労の始まりだった。父が「わしがおっ母の面倒を見る」と家事を担ってくれて助かったが、介護サービスなど他人の介入を頑として拒否。ひとりで抱え込んでしまったのだ。

 近所の人や母の友人が訪ねてきても「おっ母は寝よるけん」と帰してしまう。迷子になるといけないからと母を外にも出さない。

「私が帰省するたびに、母の表情が能面みたいになっていくんです。外からの刺激がないから認知症も進むし、どんどん落ち込んで、うつっぽくなって。泣きながら『何でおかしゅうなったんじゃろ』と同じ話ばかりするから、私も嫌になってきて、『もうちょっと明るい話はないんね』と言うと、母はさらに泣いて、何かもう、グチャグチャで。でも、私は父を先に説得しないといけないと思い込んでいたから、母と一緒に泣くことしかできなくて……」

 そのころの信友さんはげっそりやつれていたそうだ。

「東京に戻るとボクササイズを1日6時間やったり(笑)。そうすると疲れて寝ちゃうから、何も考えなくていいし。でも、ちょっと異常でしたね」

 2年後、事態は思わぬところから打開する。信友さんが撮りためた両親の映像を同僚が偶然目にして、『Mr.サンデー』(フジテレビ系)で、「娘が撮った母の認知症」として放映することが決まる。その番組の取材で地元の地域包括支援センターに行くと、職員が信友家を訪問することに。そして、介護サービスを拒否していた父を、なんとその場で説得してくれたのだ。

「彼らは頑固な年寄りを口説くプロだから、こういうタイプにはこうだと、いろんな引き出しを持っているんですね。父に内緒で相談に行けばよかったんだと、まったく気がつかなくて。だから、講演で各地を回っているとき、みなさんに話しているんです。家族の了解が得られなくても、とにかく地域包括支援センターに行って、あとはプロに任せればいいからと」

 ちなみに、去年は88回の講演をこなし、今年は100回を超える勢いだ。講演終了後に信友さんのところに来て「うちはこうだった」と自分の介護の話をする人も多い。

 母は要介護1の認定を受けて、土曜日はデイサービスに通い、水曜日にはヘルパーが来るように。それを機に、近所の人に認知症のことを伝えたら、「言うのが遅い」と怒られた。

「あんたのお母さん、おかしいんじゃないかと思っとったけど、家族が隠しよるから、何もできんかったのよと言われて、本当にそうだなーと。だから、うちの失敗例を参考にして、早めにカミングアウトしたほうがいいということも伝えています」