母が冗談めかして言った新年の挨拶

 社会とのつながりを取り戻し、母は見違えるほど明るくなった。調子の波はあるものの、デイサービスから戻ってきた後などは、以前の快活な母に戻ったように感じることもあったという。映画のタイトル『ぼけますから、よろしくお願いします。』は、そのころ母が冗談めかして口にした新年の挨拶だ。娘の映画を見ることを心待ちにしていたのだが、その願いは叶わなかった─。

 '18年11月の公開直前に母は脳梗塞を発症してしまったのだ。症状が落ち着くと家に帰りたい一心でリハビリを開始。介助があれば歩けるようになった矢先、2度目の脳梗塞を起こしてしまう……。

 ほぼ寝たきりになり反応も薄くなった母のもとへ、父は毎日片道1時間かけて歩いてお見舞いに行き、手を握ってこう励ました。

「おっ母よ、早う、ようなって、家に帰ろうよ」

 療養型の病院に転院する日。途中で家に立ち寄り、抱えられて食卓のいつもの椅子に座ると、母は「あー」と声を上げて泣いた。

病院で母を看取ったときの、父と母の別れのシーンは涙を流しながらもカメラを向けた
病院で母を看取ったときの、父と母の別れのシーンは涙を流しながらもカメラを向けた
【写真】涙を流してカメラを向けた母を看取った際の、父と母の別れのシーン

 '20年6月。コロナ禍で3か月続いていた面会禁止が終わるのを待っていたかのように、母は危篤状態に陥る。信友さんは父と2人で毎日母のもとに通った。

 いよいよ最期が近づくと、父はこんな言葉をかけた。

「長いこと世話になったなぁ、ありがとう。感謝しとるで。ありがとうねー。わしも、ええ女房もろうた、思うちょります」

 母を見送った5か月後、父は100歳を迎えた。誕生日のお祝いに母と2人でよく行ったというファミレスで、父はハンバーグをぺろりと食べ「うまかったわい」と満足そうに笑う。

 そうして、娘が20年にわたって撮り続けた家族の物語はエンディングを迎える。

「60数年一緒に生きてきた2人が、こうやって別れていくんだというのを見せてもらって、本当にありがとうという感謝の気持ちになりました。介護って親が命がけでしてくれる最後の子育てだというけど、本当にそうなんですね。不思議なことに、母を亡くした寂しさはあんまりないんですよ。何か自分の中に母がいる感じがするんです」

 信友さんはそう言うと、穏やかな表情を浮かべた。

 では、映像のプロは、どんな評価をしているのか。前出の太田さんに聞くと、こう絶賛する。

「自分の親に対して、あそこまでカメラを向けられる人はいませんよ。しかも、お父様は矍鑠としてひとりで自立して生きている。この親にしてこの娘ありというか、家族の間にすごい信頼関係があって、理想の家族の姿を見せつけられる思いがする。だから、ボケのことを超えてね、もっと大きい次元の物語がカメラに定着されたってことが、グレイトだと思っているのよ。僕にはとてもできないと思うし、心の底から尊敬していますよ」

 太田さんが懇意の編集者を紹介してくれた縁で、映画と同タイトルの著書も2冊出版した。映像では伝えきれなかった心情が詳細につづられており、版を重ねている。