データだけではなく 生の情報に触れたい
死の直前まで経済の、そして日本のタブーを告発し続けたモリタクさん。父親亡き今、康平さんはどのように経済を伝えていくのだろうか。
「そうですね。なるべく講演の依頼を多く受けようと思っています。僕にとっても勉強になるんですよ。みなさんは僕の講演を聞きにくる場合、勉強しようというスタンスで来てると思うんです。でも主催者の方、参加した方と会話する中で僕自身も実は学ばせてもらってるんですよ。
地方が過疎化している、少子化が問題だ、とかそういうデータ上では理解しているけど、やっぱり実際に足を運んでみると全然違う。思っていた以上に過疎化がひどかったりね。金沢にも今年だけでも何回か講演で行ってますが、能登から来てる方から写真などを見せていただくと、いまだに瓦礫がある場所の写真で現実を知るんですね」
データや情報で見ていてわかった気になっているが、現実との違いに驚くという。
「いろんなところに行くと、本当にそのリアルな情報というのを、その場で暮らしてる方たちからいただける。僕は仕事でデータではこうだと頭に入れておきながら、実際、生の情報を入れることによって、データ上自分が思ってたことがやっぱり正しかったと再認識できるときもあれば、なんかこれ、データで思ってたのと違うなって修正するときもある。
そういう生の情報となるべく触れる機会を触やしたい。そういう意味では、メディア出演というよりは、講演を中心にしていきたい。アウトプットしながらインプットもするみたいな感じですよね」
モリタクさんは、最後の最後まで本音で伝えたいことを発信し続けた。
「がんの余命宣告をされてから、もうリミッター外して、言いたいことは全部言って死ぬって言い出してね。その心意気、その気持ちは僕もわからなくもない。父親が本当に言いたかったテーマって、それなんだっていうことをね。
例えば、『書いてはいけない 日本経済墜落の真相』の中で、日航機(墜落事故)の話とかも書いてますけど、あれにも、僕のSNSにもコメントが来るんですよ。“おまえ、日航機事故の本当のこと知ってんだろ?”みたいな。でも、知ってるも何も、あの事故が起きたのって'85年の8月。僕が生まれたのがその年の2月ですからね(笑)」
最後まで果敢に闘った父、モリタクさん、そして同じ「経済」という土俵に新たな視線で挑む康平さん。タイプは違えども、熱い思いは伝わってくる。心に浮かんでくるのは、「生」を全うし、あっぱれな最期を遂げた「親父」の笑顔だ。
お疲れさまでした、モリタクさん。あとは息子に任せてのんびりしてください─。
<取材・文/小泉カツミ>