性被害はあったものの、加害者は公表しない

生きづらさを抱えた女性エッセイスト・石田月美さん(撮影/山田智絵)
生きづらさを抱えた女性エッセイスト・石田月美さん(撮影/山田智絵)
【写真】最大で体重90キロになった“引きこもり”時代の石田さん

 実は、石田さんは小学生時代、性被害に遭っている。相手のことは語っていない。

「高校時代、私はすごく奔放で、(性的なことに関して)経験豊富に見られていました。『月美ちゃんは性病じゃないか』という噂が流れるくらいでした。『そうだよ』と言っていたこともありました(笑)。

 でも、彼氏と初めて性体験をするまで、性被害を除けば、経験していなかったんです。周りからは『まさか、月美ちゃんが処女とは』と思われていたのかも。彼氏にも被害を言いませんでした。黙っていたというよりも、自分に何が起きているのかわかっていなかったんだと思います。記憶を封印していたというか、考えたくなかったんです」

 性被害について、詳細に話したことはある。医師の講演会で当事者として登壇したときだ。

「幼少期に繰り返しの性被害に遭っていた、ということまでは公表しています。医師の講演では、うつなどが性被害に起因しているわかりやすいケースとして取り上げられました。当時は、同じような経験をした人の役に立つのかもしれないと思っていました。

 しかし、話しているうちに(自分は)見世物小屋のフリークスだと思うようになったんですよね。加害の相手を公表しない理由は復讐心がないから。その相手には、絶対真っ当に生きていてほしい。誰よりも真っ当に生きろよ、と。それに、私は『性被害に遭った人』として生きていきたくない」

 そうした感覚が、《私は私に貼り付けられたすべてのラベルを破いてしまいたい》(『まだ、うまく眠れない』より)という言葉に表れている。そうしたつらい経験がある中、石田さんの心の支えは何だったのか。

「何もないですね。でも、支えがあるとすれば、姉がいてくれたこと。性被害に遭っていた当時、ものすごく本を読んだけど、何もハマりませんでした。やみくもに情報を入れて、(性被害の現実から)気をそらしていました。それは勉強をすることも当てはまる。考えるよりも、情報を取り入れていたんです」

 考えることを避けるために情報を取り入れる。これは、のちにストレスをため込まないために食べ物を口にし続け過食症になるのと似ている。

家出はもがいている感じ。引きこもりは暗闇に定住

 高校中退後は大阪へ移った。

「姉が大阪の大学に進学して『寮生活で自由がない』と聞いていたんです。そのため、姉に『一緒に暮らしてくれないか』と。それまで友達の家を転々とするか、路上生活だったので、とにかく屋根のあるところで寝たい。両親も『姉と一緒で住所がわかるならいい』ということだったんです」

 大阪では、バイトばかりしていた。

「当時は、ショップ店員ブームで昼間はアパレルショップで働いていました。夜はお好み焼き屋さん風の居酒屋で働きました。人間関係は広がりませんでしたが、バイトもこなす中で、路上生活をしていたときよりは安心を得られた」

 しかし安心できても、将来のことは不安だった。

「家出生活と大阪のバイト生活では、先が見えない。いつもお金の心配ばかりしているんです。宿ができたらお金のことでいっぱいいっぱいになる。この先、どうなっていくんだろう?と考えると、行きづまりました」

 そうしているうちに摂食障害になった。

「もう無理と思っていたら、過食症になったんです。体質的に吐けないので、食べてばかり。昼も夜も接客業でしたし、特に夜の居酒屋の仕事では東京弁は嫌われました。なので、ストレスがたまり、自分に麻酔をかけるように食べていました。食事は合法だし、安いものを買えばいいと思っていました。すると、昼のショップの店長から『うちの店の服を着られなくなる』とたしなめられたりしました」

 結局、実家に戻ることになり、それから引きこもり生活に突入する。

「完全に引きこもりのときは、最大で90キロにもなりました。廃人みたいだったんです。まずい状態なのがひと目でわかるぐらい。実家にいても、私は父と接したくない。父も接し方がわからない。お互い、いないかのようにしていました。母は『どこの病院に行けば治るんだろう』とオロオロして。この時代がいちばんつらかったですね」

 家出時代と引きこもり時代のつらさは種類が違うという。

「家出少女時代は輩に絡まれたり、レイプされそうになったりしました。路上生活をすると足がむくむんですよ。24時間、さまよいながらずっと外にいるのは相当キツい。

 でも、家出のときは、人に会えるじゃないですか。引きこもりのときは、始まりも終わりもないんです。記憶に残らないくらいのただの暗闇。どっぷり定住している感じです」

 暗闇の中でどう生活していたのか。

「親の動きで時間の感覚がわかるんです。『仕事に行ったんだな』とか。あとは一日中、寝ているか、食べているか。食べるものも菓子パンがメイン。安くて甘くて不安が満たされる。お金があればコーラを買います。炭酸じゃないと胃に入っていかないんですよね。胃の中に詰め込めればなんでもいいんです。味わっていません。詰め込むだけです」

 月に一回、精神科に通う前だけ、お風呂に入っていたという。

「鏡を見たくないので洗顔は基本的にしません。手の感覚で肌が荒れていることや、どれくらい顔に肉がついているかわかってしまう。夜中に人目を忍んでコンビニに行くんですが自動ドアの部分に鏡みたいに映るところがあります。それが嫌で嫌で。もう何も考えたくない。少しでも考えると、『死にたい』が襲ってくるんですよ」

 25歳のとき、石田さんは自殺未遂をした。

「近所の公園で首をつったんですが、木の枝が折れたんです。『太っていると死ねないんだ』と思いました。マジかって(笑)。なんで死にたいのか、って? ずっと『死にたい』と思っているんですが、微妙にお金がなくなると、食べ物が買えない。そうすると麻酔が切れる。今の絶望的な心の痛みに向き合わないといけなくて、希死念慮に襲われます。実家に引きこもって、食べてばかり。そんなときに両親から今後のことを聞かれたりするともう絶望的に死にたくなって」