心身にダメージを及ぼす 味覚障害との闘い

 結局1週間遅れで始まった治療は、抗がん剤を1週間投与し、2週間空けて再投与のペースで3セット。同時に、放射線治療は週5回の照射で7週間行われた。

「私の場合、抗がん剤は吐き気や悪心はあったものの、予想の範囲内で耐えられました。でも放射線があんなにもつらいとは……」

 放射線照射の回数を重ねるうちに、唾液の減少や脱毛、皮膚のただれなど、数々の副作用が現れたが、なかでも深刻だったのが味覚障害。

「口の中全体がザラザラした砂のような感触で、苦くてネバネバした唾液がずっと喉の奥にあって飲み込めない。食べ物がすべて、段ボールや紙ストローのような“食べてはいけないもの”の味がして。水さえも苦く感じて、口の中に飲食物を入れるのが恐怖になっていきました」

病気の発見から治療の過程、副作用、その後の経過まで。つらい状況での心の変遷が丁寧に描かれるコミックエッセイ
病気の発見から治療の過程、副作用、その後の経過まで。つらい状況での心の変遷が丁寧に描かれるコミックエッセイ
【写真】水さえ苦い…病気の発見からその後の経過が描かれたコミック

 やがて一切食事がとれなくなり、みるみる痩せ細っていったという。栄養不足は回復に影響する懸念もあり、医師の提案で、胃にチューブを通して栄養補給する経管栄養(胃ろう・PEG)を造設。

「胃ろうにしてからは、食事のストレスから解放され、栄養状態も改善できました」

 しかし、放射線治療が20回を超えてからは、今度は激痛に苦しめられるように。

「放射線による大やけどの状態で、喉がちぎれそうな痛みでした。痛み止めの薬も効かず、眠れない日が続き、最終的にフェンタニルという医療用麻薬(麻薬性鎮痛剤)を使ってなんとか乗り切りました」

 開始から2か月半、ついに治療は完了。あとは快方に向かうのみとホッとしたのもつかの間、帰宅後もさらなる試練が待っていた。

「何を食べてもまずい状態は、半年ほど続きました。日常から“おいしい”がなくなると、人の心はこんなにも蝕まれるのかと。治療中は、あと何回と目標があったので乗り切れましたが、治療後は目標を失い、無気力になってしまいました」

 そんなとき、救いになったのが、夫が作ってくれたすまし汁。がん患者向けのレシピを調べ、だしを十分にきかせた味つけに、数か月ぶりにおいしさを感じることができ、涙があふれたという。それをきっかけに食への意欲を取り戻すことができた。

 そして治療終了から2か月後には、腫瘍の消失を確認。ただし初期数年は再発の可能性が高く、定期的な検査で経過観察を続けている。

 つらい治療も、「漫画のネタにしてやる!!」との思いで乗り切ったという松本さん。その野望を実現し、今年6月には自身の闘病体験をまとめた漫画の単行本を発行。

「その時々、本当につらかったけれども、自分自身を漫画のキャラクターとして俯瞰できたのがよかったのかなと。病気を経験してからは“来年も元気でいる保証はない”という気持ちで、やりたいことはできる限り即行動!を、モットーに人生を楽しんでいこうと思っています」

お話を伺ったのは…松本ぽんかんさん
漫画家。コミックエッセイスト。1989年生まれ、岡山県出身。夫と娘の3人家族。『つわりが怖くて2人目に踏み切れない話』『ポンコツぽんかん育児録』などの子育てコミックエッセイが人気。病気の発見から赤裸々に語った『ママ5年目でがんなんて』(竹書房)が発売中

取材・文/當間優子