また、1983年に放送された『ふぞろいの林檎たち』では、東大を卒業したエリートでありながら人間関係に難があり、ニート生活を送る青年を好演。それぞれまったくキャラクターの違う役を見事に演じた国広さんに当時の思い出を聞いた。

撮影終わりに毎日サイン色紙を50枚

「あのころの思い出は、とにかく睡眠時間が少なかったってことかなあ(笑)。当時は、ロケをするのも大変だったんです。カメラが重かったから。まだVTR(ビデオ)で撮る時代じゃなくて、映画と同じようにフィルムカメラで撮影していましたから、時間もかかりました。

 だから、僕らのような若い俳優は常にドラマ2本くらいを掛け持ちするのが当たり前でしたね。でも俳優としては、いろいろ演じ分けるのは楽しかったですよ。特に僕自身は根っから明るい人間なので、難しい役でもポジティブに考えて演じていましたよ

ドラマ『噂の刑事トミーとマツ』に出演していた頃の国広富之さん(写真右から3番目)
ドラマ『噂の刑事トミーとマツ』に出演していた頃の国広富之さん(写真右から3番目)
【写真】日本中が夢中に!社会現象を起こした『トミーとマツ』時代の国広さん

 そのほかにも、1979年には大河ドラマ『草燃える』で源義経を演じ、それまでの義経のイメージを覆して話題を呼んだ。

 このように俳優として活躍して50年になる国広さんだが、一方で画家としての顔も持つ。こちらは45年にわたって活動し、全国で自身の個展を開催している。そもそも画家になるきっかけは何だったのだろうか?

昔は仕事が終わって夜12時くらいに帰ってきても、サインを書くという仕事があったんですよ。毎日50枚くらいかな。特に『トミーとマツ』の両方のサインを欲しがる人が多かったので、片方に僕がサインを書いて、もう一方にマツが書いていました。

 そして、そのサインを失敗すると、それに漫画なんかを描いてごまかしたりして。それが始まりでしたね(笑)。また絵を描くことの好きな人が周りに結構いたので、そういう人の影響も受けました」

 自宅の部屋に絵を飾りたいなと思ったものの、気に入った作品が見つからない。ならば……ということで「描き始めたところがある」とも。

 俳優と画家という、まさに“二刀流”の活躍であるが、2つの活動をどのようなバランス感覚で続けているのだろうか?

以前は、芝居の仕事の疲れをリフレッシュするために絵を描いていたこともあります。でも現在は、油絵の具を練っているだけで心を研ぎ澄ませることができるようになりました。すぐに“瞑想の世界”に入っていけるんですよ。書道家が墨をする間に精神統一するのと似ていますね。

 仕事で疲れていても、絵を描くとなると絵の具を練ることで、すぐにスイッチが入るんです。描くものが頭に浮かんでこなくても、キャンバスを眺めていると描くべきものが勝手に浮かんでくるようになりましたね。そうやって、心が年々解放されてきています」