そんな国広さんが描く絵は、最近はほとんどが抽象画なのだという。

松崎しげるも「画家・国広富之」のファン

「死が身近になり始めた60歳くらいのころから、目に見えない不思議な世界に惹かれるようになったんですね。そこから抽象画を多く描くようになりました。本当は僕、ずっと墨絵のようなモノクロームで描きたいんです。古来続く“わびさびの精神”を表現したいから。

 墨絵は中国から伝わってきたといわれていますけど、今の中国には昔の作品はほとんどなくなっていて、古きよき伝統が消失しましたね。国立故宮博物院にはまだ残ってはいますけど。しかし、日本には平安、鎌倉、安土桃山、江戸時代などの文物が正倉院などにたくさん残っています。それによってその精神、“スピリッツ”もいまだにあるんですよ。

 あとはイギリス。不思議なことに、この東側と西側の島国にはまだスピリッツが残っているんです。そのスピリッツを表すには白黒の絵が最高なんです。実は色彩を使うほうが表現しやすくて、白黒で表現するのは難しいんですよ。だから、僕はそのスピリッツを体系化するために、油絵によって墨絵に見えるように描いているんですね」

 ちなみに俳優仲間と絵画の話はしないという国広さんだが、松崎しげるさんは「画家・国広富之」のファンでもあるそうで、彼の家に飾ってある絵の8割は国広さんの絵だという。

 「マツは僕の絵、気に入ってくれて」と語る国広さんに、俳優・画家としての今後について聞いてみた。

「これからも好奇心を忘れずに生き続けたいですね、俳優としても画家としても。これが一番大切なことです。実は脳って、鍛えれば鍛えるほど冴えていくそうなんですよ。

 50歳を過ぎると体力こそ落ちてきますが、好奇心を忘れずにいれば気持ちがポジティブになり、脳の活性化につながるし、作品を生み出す気力も生まれる。

 ピカソをはじめ画家に長寿の人が多いのは、そういう好奇心を持っていたからかもしれませんね。僕はいつも自分のことを俯瞰しているような気がします。俳優の僕も画家の僕も、どちらも肯定しているんですね。『自分推し』ということですね(笑)。この『僕たち』には、ますます高みを目指してほしいとも思っています。

 この2つの僕は、らせんのようにぐるぐると上がっている感じがします。そういう関係だからこそ、人生を見つめ直しつつ前向きに進めている気がします。俳優と画家の2つは、ずっといいライバルであり、いい友達でいたい」

 現在、絵本を執筆していて、子どもたちにも国広さんのスピリッツを継承したいと考えているという。自己肯定感が低い人が多いといわれる世の中。国広さんのように“自分推し”で好奇心を持ち続ける生き方こそが、ポジティブに生きられる最大の術かもしれない。

取材・文/樋口 淳

くにひろ・とみゆき 1953年生まれ、京都府出身。1977年に『岸辺のアルバム』(TBS系)でデビュー。その演技で脚光を浴び、1977年度ゴールデン・アロー賞放送新人賞を受賞。以後、『噂の刑事トミーとマツ』『ふぞろいの林檎たち』(共にTBS系)など数多くのドラマ、映画に出演。ほかにも、大映ドラマの「赤いシリーズ」や作家の内田康夫原作の「浅見光彦シリーズ」などに出演している。また全国各地で個展を開催するなど、画家としても活動している。