河童たちは水中を移動する、周囲の色に擬態するといった特性を生かして武将らの計画を聞き、味方になりそうな人間にその話を伝えていった。

調べれば調べるほど悲惨な歴史であることがわかった

 そのうちの一人が秀吉と親しい間柄の千利休で、接点を持った河童は利休から名前を授けられた。

“利休”の字を逆にすると“休利(きゅうり)”になることに気づいたときはうれしかったです。利休が河童に“きゅうり”と名づける場面は、自分でも好きなシーンのひとつです

 河童たちは徳川家康、島津義久、豊臣秀吉など武将らに接近し、時に親しみ、時に敵対していく。

「京都の伏見にある黄桜という日本酒の会社に河童資料館があって、全国の河童の目撃情報を記した地図があるんです。その中には江戸時代のころの目撃情報もあります。今と昔では社会背景も違いますから、当時の人は河童に会ってもそう驚かなかったかもしれないですし、中には仲良くしていた人もいたかもしれません。河童も『水神夜話』もすべて創作なのですが、河童は本当にいるんじゃないかなぁと思っているんです

 教科書などでは「文禄の役」「慶長の役」と記されている秀吉の朝鮮出兵は、16世紀最大の国際戦争だといわれている。戦争には残酷な出来事がつきものだが、本作からは血生臭さはあまり感じられない。

当時のことを調べれば調べるほど悲惨な歴史であることがわかり、小説にはできないのではないかと思ったこともありました。河童が見聞きしたことを描くことで生々しさが薄れ、河童に助けられて書いた小説なんです

 物語の随所から、中島さんの河童への愛情が伝わってくる。例えば、「るるんぶつるんぶ」という表現だ。作中では「河童の踊り、もしくは『ぶらぶらする』という意味である」と記されている。

河童について調べる中で、草野心平さんの『河童と蛙』という詩に行き当たったんです。この詩の中で河童の踊りの描写が『るるんぶつるんぶ』と表現されていました。かわいい言葉だなぁと思い、使わせていただいたんです