p.p1 {margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; text-align: justify; font: 13.0px Helvetica} 成績優秀な姉と比べられた小中学校時代

 その翌年3月。真護は東京・有楽町の「東京交通会館」で個展を開いた。

 番組『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京系)でも知られる株式会社トーイズの北原照久さんの推薦だった。北原さんは真護の才能を高く買っていた。ここで、奇跡が起きる。

「たった1日の個展。それにもかかわらず、現地の少年の顔のまわりを電子ゴミで埋め尽くした油絵『Ghana's son』が1500万円の高値で売れたんです」

 真護はそれまで水墨画を得意としてきた。しかし油まみれで電子機器を焼き、金属を手に入れる、まさにゴミから糧を得る“スカベンジャー”たちの生命力を表現するには水墨画では弱い。

 だが真護はこれまで油絵を描いたことも勉強したこともなかった。それでもアグボグブロシーをなんとかしたい。そんな思いで絵筆を握った。

 真護の絵には、これまで1枚20万〜30万円の値段しかついたことがなかった。

アグボグブロシーと出合って芸術家として一皮も二皮もむけた。そう評価され、素直にうれしかった。その反面、なぜそんな高値で絵が売れたのか、一晩中寝ずに考えました」

 行動こそ真実。それが真護のポリシー。その思いから、たった1人アグボグブロシーの橋を渡った。現実から目を逸らさず、電子廃棄物と向き合い、油絵を描いた。

「力を尽くして、狭き門より入れ」

 これが運命の扉を叩く瞬間であったことにこの時、真護はまだ気づいていなかった。

先生からも「変わっている」と言われた小学生時代。「もうひとつの(死の)世界を見に行く」と自殺騒動を起こしたことも (c)MAGOCREATION
先生からも「変わっている」と言われた小学生時代。「もうひとつの(死の)世界を見に行く」と自殺騒動を起こしたことも (c)MAGOCREATION
【写真】「電子廃棄物の墓場」真護が活動に励む衝撃のスラム街

 恐竜王国としても知られる福井県福井市で1984年、長坂真護は生まれた。小学校に上がる前に両親は離婚。母と祖父母に育てられた。

「2歳上の姉は福井県で一番の進学校に合格するほど優秀でスポーツも万能。おまけにピアノもうまかった。それに比べて僕は、小学校入学当時から、机に座って先生の話を聞くのが苦手。時には算数セットを床に撒き散らして授業の邪魔をする。いわゆる問題児で、母は何度も学校に呼び出されました。中学では野球部に入ったものの集団行動ができず、先輩たちに目をつけられ、呼び出されて何度もボコボコにされました」

 持って生まれた性格なのか、何をやっても続かず、優等生の姉と比べられコンプレックスは膨らむばかり。そんな真護の唯一の楽しみは絵を描くこと。小遣いで買った、植物や動物の図鑑をひたすらまねて描いていた。高校に進学すると音楽に目覚めた。ピアノやギター、ベース、ドラムスを演奏できるようになると、ロックバンドのGLAYに憧れ、ライブハウスで腕を磨いた。

「スポーツも万能でテニス部に所属しながら、オリンピックスポーツにもなったBMX(自転車)にもハマり、専用施設で血まみれになりながら練習していました。一度究めたくなったら、とことんのめり込む。長坂は何かしらで有名になると、当時から思っていました。将来は海外で仕事がしたい。そんな思いから月に1度、英語の先生から英会話の個人レッスンを受けていたことも印象に残っています」

 中学、高校の同級生・藤井秀成さんは、当時をそう思い返す。工業高校ゆえ、ほとんどの同級生が卒業後、就職していく。しかし真護には自分が就職するイメージがどうしても湧かなかった。そして音楽を理由に故郷を後にする。

「サラリーマンになって、企業のコマとして働くのは自分にはできそうにないと思った。とにかく東京に行きたかった」