“ビッグマウス”でつかみ取った成功

 付き合っていた女性に食べさせてもらったり、知人の家を転々としたり、時にはネットカフェにも泊まった。

「僕に何が残っているだろう」

 すべてを失い絶望の淵に立たされた。手元に残されたのは数本の筆と墨と越前和紙だけだった。もちろんギャラリーなど借りられる状況ではなかった。

 路上なら貧乏人にも金持ちにも平等ではないか。そんな思いから'09年3月6日。真護はホスト時代の白いスーツに身を包み、新宿駅東口に立ち大きなキャンバスに向かって絵筆を走らせた。

「路上でのパフォーマンスは違法だと、警察と何度もバトルになることもありました。中古自動車に画材を積み、車の中で寝泊まりしながら大阪や京都などの主要都市を回ることも。それでも絵はほとんど売れず、中古自動車のローンや経費が重くのしかかってくる

 そんな苦境を見かねて、地元、福井の友人が県会議員を紹介してくれた。

 そのおかげで、東京のビッグサイトで行われる福井県のイベントから声がかかった。

「越前和紙に恐竜の絵を描けないか」

 恐竜どころか、本格的に和紙に絵を描いたことさえなかったのだが、真護は「できます」と即答し、成功させたのだ。

2009年、自身が経営していたアパレル会社が倒産。借金を抱えて新宿で路上画家を始めたころは年収100万円以下だった (c)MAGOCREATION
2009年、自身が経営していたアパレル会社が倒産。借金を抱えて新宿で路上画家を始めたころは年収100万円以下だった (c)MAGOCREATION
【写真】「電子廃棄物の墓場」真護が活動に励む衝撃のスラム街

 そんな真護のパフォーマンスが認められ、毎年、延べ30万人が集まる音楽の祭典「サマーソニック」の関係者が、アートのイベント「ソニッカート」に参加しないかと声をかけてきた。参加できるアーティストはわずか10人。候補者リストには100人近いアーティストの名前が登録されていた。真護は恐竜展でチャンスをくれた福井県議に相談。地元の新聞やテレビ局を紹介してもらい自らを強烈に売り込んだ。

「僕はサマーソニックのソニッカートに出演するんです。25歳で最年少。最年少の出場者が福井県から出るんですよ」

 そうしたアピールが実り、さまざまなメディアが大きく取り上げてくれると約束してくれた。

 そこで真護は決まった番組や新聞、雑誌の一覧表を作り、「ソニッカート」の関係者に提出して畳みかけた。

「費用対効果は膨大なものになります。少なく見積もっても200万人が『サマーソニック』『ソニッカート』を知ることになりますよ」

 強気のプレゼンが功を奏して、真護は出演を勝ち取った。時にはビッグマウスも使いよう。言い切ることで、絶対に成功しなければならない。

 プレッシャーを自分にかけることもできる。これこそが「真護流の成功術」なのだと胸を張る。この真護のビッグマウスは、さらなる成功を呼び込む。

「『ソニッカート』のパフォーマンスが芸能関係者の目に留まり、テレビ番組で、絵を描く仕事が舞い込んできました」

 路上画家だった自分が全国放送で絵画を発表できる。願ってもないチャンス。しかも番組のエンドロールに、毎回自分の名前が流れるなんて。真護はたちまち有頂天になった。しかしこの喜びも長くは続かなかった。

「周りからは成功者のように見られましたが、スタッフの意のままに絵画を描く自分が、まるで手錠をはめられているようで嫌になったんです」

 加えて事務所関係者から釘を刺されていることもあった。

「おまえには、人を惹きつける力がある。それは才能だけど、しかしその後がない」

 確かに当時、真護が描いていたのは平凡な美人画。器用な人であれば、誰にでも描ける。自分の絵の拙さは、自分がいちばん知っていた。

「変わらなければならない。それならビッグマウスが通用しない海外で勝負してみよう」

 '12年、27歳になった長坂真護は、単身ニューヨークへ武者修行に旅立った。