そんな園子を即採用した店主の菊田は、店名を「カフェー アウグスティヌス」とするつもりが、「アウグイステヌス」と文字を間違えて看板を作成し、看板の前に西行法師の置物を置いてごまかしている。ゆえに店は、“カフェー西行”と呼ばれている。

朝ドラ『虎に翼』の影響を受けた登場人物も

もともとお店の前に特徴的な焼き物が置いてあるという設定を考えていて、インターネットで見つけたイメージどおりの焼き物が、歌人の西行を模したものだったんです。上野という場所柄、東大の教授などもお客さんとしてやってくるので、菊田さんはカッコいい哲学者の名前を店名につけたつもりだったんですよね。それが図らずも“西行”と呼ばれてしまう

 5編の収録作のうち、唯一、最初から思い描いたとおりに書けたのが第三話の『出戻りセイ』だという。小説家志望だったセイは諸事情により、30代で女給に戻った人物だ。

セイは第二話の脇役で、厄介な人という印象でした。でも、執筆するなかで私のセイの見方が変わっていきました。本書を読んだ方からも、好意的なご意見をいただくことが多いです

 セイは、客である理容師の向井正一のアドバイスを受け、髪形や服装を変えるうちに自分に自信を持てるようになる。戦時へと移ろう時代の中で、セイと向井の距離は少しずつ縮まっていく。

向井は私自身、気に入っているキャラクターです。NHKの朝ドラ『虎に翼』の影響もあって、向井のイメージは、そのドラマの戸塚純貴さん演じる轟太一なんです。轟さんの姿を思い浮かべて、胸をキュンキュンさせながら書いていました。ちなみに“向井正一”は、残留日本兵の横井庄一さんのお名前をもとにしています

 第四話『タイ子の昔』では、戦時下のタイ子の様子が、第五話『幾子のお土産』では、これまでの登場人物たちの終戦から5年後の姿が描かれている。

一話目を書き終えた時点で、二話目から五話目までのイメージをざっくりと決めていました。けれど、どのお話も手探りの状態での執筆となって、四話と五話に至っては予定よりもだいぶ時間がかかってしまいました。最後の段階でかなりの修正を入れたこともあり、本の状態で目にしたとき、『気になる箇所はすべて修正できた』、『恥ずかしくない仕上がりになった気がする』と思いました