1962年の巨人と現在の“意外な共通点”
果たして、開幕でルーキーを大抜擢した1962年シーズンはどんな結果だったのか。スポーツ紙デスクが明かす。
「開幕2連戦はいずれも敗戦。最終的な順位は、2リーグ分裂後で球団史上初となるBクラスの4位に終わっています。投手陣を見れば、城之内が24勝を挙げて新人王に輝いた一方で、期待の柴田は0勝に終わり、野手へ転向することとなります。その後の大成を考えれば歴史的な転換点でしたね。
しかし、この年の最大のニュースは何といっても王貞治氏の一本足打法の完成です。大洋戦で初めて披露されたその打法で、自身初の本塁打王を獲得しました。今の巨人にも新しいスターが求められており、投打で突き抜けた選手が現れるか見ものです」
ネット上でも、「柴田さんが投手として開幕カードで投げていたなんて!」「4位は困るが、王さんのような新しいスターが出てきてほしい」「竹丸も城之内のように20勝してほしい」「竹丸と山城が勝って歴史を変えるのが見たい」といった声が聞かれる。
「1962年の巨人と現在の状況を重ね合わせると、意外に多くの共通点が見て取れます。当時は名将・川上哲治監督の就任2年目で、チームの若返りを強烈に推し進めていた時期でした。まず挙げられるのは、“エース不在という絶体絶命の窮地”です。
1962年は大エースの別所毅彦が引退し、大黒柱の堀本律雄も不調。現在の巨人も山崎の離脱に加え、元エースの戸郷翔征の調子があがってこないままですが、両指揮官とも既存の戦力で凌ぐのではなく、まったく新しい戦力をぶつけることで停滞感を打破しようとしました。巨人にとって最も負けられない阪神との“伝統の一戦”をあえて新人のテストケースにするという胆力も同じです。この采配が、単なる若手起用を超えた“チーム刷新のメッセージ”である点も似ています」(前出・スポーツ紙デスク)
前年には日本一に輝いていた川上監督だが、Bクラス転落の責任を感じてシーズン後に辞表を提出。球団からの慰留を受けて続投し、その後、前人未到のV9時代を築くこととなった。阿部監督の命運はいかに――。

















