50歳のときに発表した『人生いろいろ』
結局、藤本氏とは数年後に離婚し、元夫の事業失敗による負債も背負うことに。
「加えて、以前に目を治してもらって信頼していた眼科医に頼まれて実印を渡してしまい、島倉さんの知らぬ間に多数の保証人にされる事態に。そのせいで元夫から押しつけられた借金と合わせて、総額16億円ともいわれる巨額の借金を背負い込むことになりました。『地獄に堕ちるわよ』の劇中で描かれた、金銭トラブルはこのころのことです」
返済を終えた島倉さんだったが、家族との確執は生涯なくならなかった。
「結婚を反対していた母親との溝は埋まらず、実弟とは音楽事務所や楽曲の権利をめぐって対立したとされます。家族は離散状態になってしまいました」
壮絶な人生を送った島倉さんが'87年、50歳のときに発表したのが、後の代表曲となる『人生いろいろ』だった。
「この曲は大ヒットし、累計売上は130万枚に達したとされます。'88年には第30回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞しました」
浮き沈みの大きい人生を送った島倉さんだが、いったいどのような人物だったのか。同じ日本コロムビアの後輩で、島倉さんと一緒のステージに立っていた演歌歌手の多岐川舞子に話を聞いた。
「私は平成元年の'89年にデビュー後、長らく島倉さんが出演するステージの前座としてご一緒させていただきました。当時の島倉さんは『人生いろいろ』が大ヒットして、本当にお忙しい時期。そんな中、新人の私たちを舞台に立たせてくださいました」
裏切られることの多かった島倉さんだったが、後輩には真摯に向き合っていたという。
「私は幼いころに母を亡くしているのですが、それを知った島倉さんが“母親になってあげる”と言って“娘認定証”まで作ってくださいました。実際、自宅に何度も招いていただき、ごはんをごちそうになり、つきっきりで歌の指導をしてくださるなど実の娘のように可愛がってくれました」(多岐川、以下同)

















