親分気質だからこそ味わった悲喜こもごも

児童養護施設から被災地、老人保健施設などへ支援や寄付を続けている
児童養護施設から被災地、老人保健施設などへ支援や寄付を続けている
【写真】バースデーパーティーでたかの友梨を祝った“豪華”有名人

 時代を創った、誰もが知る女性社長。その姿を八千代さんはどう思っていたのか? そう尋ねると、「まったく褒めない人だった」と、たかのはあきれたように微苦笑する。「ただ」、少し間を置いて言葉を続ける。

「私が35歳くらいのときだったかな。北新宿に結構な豪邸を建てたのね。そこで日なたぼっこをしながら、『お母ちゃんやったでしょ、私、こんな家建てて』と言ったら、『いや、おまえはこんなもんじゃない』って言ったんですよ。だからね、私もこんなもんじゃないんだと思えた」

 2人にとっては、血は水よりも濃くはないのだろう。八千代さんは泉下の人となった。しかし、その遺志は継承されている。たかのは自らが養子だった経験から、1989年から群馬県前橋市の児童養護施設「鐘の鳴る丘少年の家」への支援・寄贈を続け、篤志家としても活動する。

「親が刑務所に入った、離婚した、さまざまな理由があるんだけど、今の子どもたちは心のケアから始めないといけないんですよ。『食育ハウス』を造って、食べることの大切さを説いたりね。私たちの時代とは違うということを、逆に教えられている」

 親分気質だから、誰からも好かれそうに見える。だが、それゆえ反作用を起こし、波風が立つこともある。週刊誌から叩かれたことは一度や二度ではない。たかのの厳しさが、時に軋轢を生む。そのことを本人も認めるが、彼女の半生をたどると、厳しさの裏側にはいつも八千代さんがいるような気がする。

「素直さだけが伸びしろだと思います。だから、怒られることにも伸びしろがあるんですよ」

 散々、彼女自身が怒られてきたからこその説得力。半面、今の時代、それがうまく伝わるとは限らないのではないか。そう質すと、「どう伝えるか。私は褒めるときは人前で、怒るときは一対一でするようにしている」と返ってきた。けだし金言だろう。

「毎年、表彰式をするんだけど、今年は明治座で氷川きよし君の公演を一日貸し切って開催した。従業員のモチベーションを上げることも大切だし、そういう場で表彰された子は、自信を得るから伸びるのね」

 かつては、毎年、各支店対抗の大運動会まで開催していた。目を細めながら、たかのが追憶する。

「大変だったけど、楽しかったわね。約1000人の女の子が走って、踊って。男だったら悪酔いしたりして嫌な騒ぎ方をするけど、女の子たちはそうならないから」

 前出の取締役・鈴木さんが証言する。

「院長は、社内で自分の部屋を持っていないんです。普通であれば社長室があると思うのですが、院長は社員と同じフロアにいる」

 すかさず、たかのが合いの手を入れる。

「私、寂しがり屋だから(笑)」

 子どものころ、貧しくても家族が支え合う家庭に憧れた。『若草物語』のような関係を夢見た。彼女はそれを、実業家として自らの会社で実現させたのかもしれない。