弱冠27歳で料亭を始めた母
昭和23年3月6日。江戸の昔から格式のある花街として知られる台東区柳橋の黒塀に囲まれた家で、和津は婚外子として生まれた。
「母の昌子はもともとは裕福な商家の長女に生まれましたが、祖父が知人の莫大な借金の保証人になったことから一家は窮地に陥りました。
祖母はショックのあまり持病のリウマチが悪化し寝たきりになり、その上祖父は女性と駆け落ち。家族を支えるため、母は女学校を1年で中退して花柳界に身を投じる決断をしたのです」
そんな母・昌子の情のある温かさと、愛情の純真さに心奪われたのが後に吉田茂内閣で法務大臣を務めることになる犬養健である。
2人が出会ったのは、昌子21歳、犬養48歳のとき。静かに愛を深め、数年後、父は母ともうひとつの家庭を持った。そんな2人の間に生まれたのが和津(本名・和子)であった。
「その翌年、父に頼るだけではいけないと決心した母は、弱冠27歳で料亭を始めました。
さらに黒塀の料亭が繁盛して手狭になったことから30歳のとき、女手一つで私を育てる覚悟で銀行とかけ合い、隅田川沿いに建坪160坪の数寄屋普請の料亭『をぎ乃』を開きました」
熱い生きざまからもわかるように、昌子は典型的な江戸っ子気質。政財界の要人であるお客様に対しても、おべんちゃらなどは言わず、酒も飲めない働き者は一方で、実は情に脆かった。
「年の瀬にはよく芸者衆や使用人が借金を申し込みに来ましたが、嫌な顔ひとつせず“あげたつもり”で気前よくお金を渡していました」
そんな母の血を色濃く受け継ぎ、波乱に満ちた人生を歩んできた和津。だが小さいころは、ひどい虚弱体質だった。



















