名字が違う父との思い出と後悔

 大川べりの料亭「をぎ乃」は夏を迎えると川風が呼び物となり、店は大忙しとなる。母・昌子は店中を慌ただしく駆けずり回って手が離せない。

 そんなとき、やってきた父・健は「菊の間」と呼ばれる居間でポツンとテレビを見ていることが多かった。

 父のことは断片的にしか覚えていないが、会えば必ず、

「カコちゃん、抱っこしてあげよう」

 と言って、あぐらをかいた足の間に座らされ、おかっぱ頭をなでながら、膝頭をポンポンと叩くのがお約束だった。そしておいしそうにウイスキーソーダを口元にゆっくりと運ぶ。 

 白髪の上品な英国紳士を思わせる父の記憶。それはグレーのフランネルのスーツと、ウイスキーソーダの匂いだった。

「幼いころ、“どうして私とママの名字はパパと違うの?”と言って母を困らせたこともありました」

自宅の玄関前でおすまし顔の安藤和津。仕事が忙しい母親に代わって乳母にお姫様のように育てられたという(写真は3歳のとき)
自宅の玄関前でおすまし顔の安藤和津。仕事が忙しい母親に代わって乳母にお姫様のように育てられたという(写真は3歳のとき)
【写真】娘・安藤サクラを出産した際の和津がそっくりすぎる

 そんな父が1年以上、わが家に姿を見せなかったことがある。中学1年の夏休み、久しぶりに父が療養中の箱根のホテルへ母と向かった。

「久しぶりに会った父は、枯れ木のように痩せこけ、何十歳も年をとったように見えました」

 父は懐かしそうにニッコリと微笑んだ。

「カコちゃん大きくなったねぇ。おお、おしゃれなものを着てるね。ブルージーンズはアメリカの子どもたちがよく着るんだよ」

 父に自慢のジーンズ姿を褒められ、すっかり気をよくした和津。ためらいや距離感の砦が少し取り払われた気がした。

 次の朝、日差しが明るく眩しかったホテルのダイニングルームでの朝食。それは親子3人での、最初で最後の朝食だった。

 長い夏の日差しが陰るころ、母と和津は父の暮らす英国風の家で安置された遺体と対面した。

「白い布が外されると、いつもと変わらない父の顔が現れました。ただ耳だけがなぜか葡萄色。その耳を見ているうちに涙があふれ、初めて父を愛おしいと思いました」

 和津が9歳のとき、認知手続きを行ってくれた父。その意味の重さもわからなかった。

 なぜ赤飯が炊かれ、母が涙ぐんだのかも理解できず、和津は周囲の雰囲気に反発さえ感じていた。

「ごめんなさい、パパ」

 人の死の後の悔恨ほど苦しいものはない。