母親からの“監視”を一身に受けた幼少期
そのきっかけになったのが、5歳の春に遭った交通事故。料亭の表玄関の近くで遊んでいた和津は、オート三輪に轢かれ、左肩骨折と右大腿部複雑骨折。
なんとか一命は取り留めたものの今でも右の太腿の真ん中に大きな傷痕が残っている。
「事故のせいなのか身体が弱く、昼間に十分な運動もできず、日光にも当たらない。家の中で本ばかり読んで過ごすような子どもでした。母親からは“過保護”という言葉では足りないくらい監視され、管理されていて。気がついたら無口で暗い子どもに育っていました」
毎日、窓に張りついて外の世界を眺めていた一人ぼっちの和津。友達からも、
「お大臣の和子ちゃんなんて入れてやんないよ!」
と除け者扱いされていた。“私だってピカピカの革靴ではなく、みんなと同じズックやサンダルが履きたかったし、駄菓子屋で買い食いもしたい”。
そんな悲しい気持ちに浸る毎日だったが、小学3年生のとき、除け者にされるたびに、自分のことのように憤慨していじめっ子を追いかけ回してかばってくれた友達のイッコちゃんが、見るに見かねて和津を駄菓子屋に誘ってくれた。
「夢にまで見たソースを塗ったぱふぱふせんべい、そして真っ赤なハタンキョウ(すもも)漬け。どんな高級なケーキよりおいしかった。
ところが口の中を真っ赤にして帰ってきた私を見て、“何食べたの!”と母に見つかり大目玉でした」
しかもバチが当たったのか、お腹を壊した挙げ句に高熱を出してしまう。それでも和津にとって、その夏の日は一生忘れられない思い出となった。



















