2025年4月30日の夜、下北沢の「本屋B&B」で、古舘佑太郎(34)は、お笑い芸人の又吉直樹(44)と並んでいた。2024年3月1日から4月30日まで、アジアを1人で旅した記録である初の著書『カトマンズに飛ばされて 旅嫌いな僕のアジア10カ国激闘日記』の刊行を記念し、対談イベントを開催したのだ。ゲストに招かれた又吉はこう称賛した。
アナウンサー・古舘伊知郎の長男、古舘佑太郎

「僕は普段、旅行記の類いは、好きな作家のものであってもあまり手に取らないんです。なのに、この本はめちゃくちゃ面白かった。旅によって成長しないで、困難を乗り越えられないで、と思いながら読んで、最後に古舘さんがたくましくなっていくさまに、自分が置いていかれるような寂しさと、憧れを感じました」
古舘佑太郎、職業はミュージシャン・俳優。アナウンサー・古舘伊知郎の長男で、2人の姉がいる末っ子である。高校生のときに同級生たちと結成したバンド、The SALOVERSが音楽業界で話題となり、2010年、19歳の若さでデビュー。
5年後に活動休止し、ソロ活動を経て新バンドを結成したが、やはりヒットには届かず解散。そのころには俳優の仕事もなく、32歳にして初めて人生の展望がゼロになる。
2つ目のバンドのプロデューサーである師匠、サカナクションの山口一郎に解散を報告するため、古舘は彼のツアー先の名古屋を訪ねた。報告はライブ後にしようと思っていたが、楽屋でいきなり「用件は何だ?」と訊かれる。仕方なく解散を伝えたところ、突然「よし、カトマンズに行け! 金は俺が出す」。
電車のつり革も握れないし、エレベーターのボタンは爪の先で押す極度の潔癖症。物事が予定どおり進まないと我慢できない病的なせっかち。そんな旅嫌いな古舘がバックパッカーとしてアジアを旅することになってしまったのだ。その旅路で悪戦苦闘するさまを、古舘はリアルタイムでインスタグラムに投稿し続けた。
スタート地点であるタイのバンコクに、昔、CDのジャケットを撮ってくれた写真家の藤原江理奈(45)が住んでいると知った古舘は、到着翌日に会った。彼女が言う。
「タイで古舘さんと会ったら、前日からの大変なことをバーッと話し始めて『僕は旅をやりきれる自信がない!』と。で、『荷物が重すぎる、こんなに荷物を持ってきた自分に怒ってる!』と言いながら、どんどん物を捨て始めたんです。東南アジアは空気が良くないのでマスクは持っておいたほうがいいよ、新品のTシャツは捨てるなら着てからにしたほうがいいよ、って止めても聞かない。自分がこうだと思ったら、自分の道を行く人なんだな、と思いました(笑)」
そのあと彼女は古舘をリラックスさせようと、マッサージ店に連れ出すが、逆効果に。
「施術中、『自分にこの旅は無理だ』という思いでいっぱいになったらしくて。店を出て道路を渡る途中、過呼吸になって、『僕もう無理です!』と。その状態で撮ったのが、本の表紙の写真です(笑)」
当の本人は、旅を決意した経緯をこう明かす。
「本当に行くつもりはなかったんです。でも、すぐに一郎さんから旅の資金が振り込まれて、じゃあ1週間ぐらいで逃げ帰ってこようと。そしたら一郎さんが、4000人が見ている生配信で、僕が旅に出たこと、お金は自分が出したことをバラしちゃって、帰れなくなった。めっちゃ応援メッセージが届いて、退路を断たれたんです。かといって、前を向いても道がない」
32歳にして、1人でアジアの異国に放り出された古舘佑太郎。彼の音楽活動は、いかに多くの人の“共感”を得られるかを目指す戦いの歴史だった。だが、数字と人の意見にとらわれるあまり、純粋に音楽を作れなくなっていた。この旅は、表現者としての古舘が、初めてそこから解き放たれた経験でもある─。