父親コンプレックスと葛藤
もうどうすることもできない。でも、曲だったら、好き勝手なことを言っていい、それが彼女に届くかもしれない。そう思った古舘は、さらに曲作りに打ち込む。
「もう、次から次へと曲ができた。The SALOVERSの初期の曲は、ほとんどそのころに作りました」
一方、バンドの存在が、高校の中では「火だるまになっていた」そうだ。
「当時、2ちゃんねるが流行ってて、うちの高校専用のスレッドがあったんです。そこで引くぐらい叩かれていた。The SALOVERSの専用スレができたくらい(笑)。鼻についたんじゃないですか、内部生だし、愛想も悪いし。父親のこともあったと思います」
しかし、古舘はやがて事態をこう捉えるようになる。
「叩かれるから余計に『全員敵だ! 俺と彼女を引き裂いたこの学校とこの男たち、俺の音楽をディスってくるやつら、全員ぶち殺したい』という怒りに染まっていて。でもそのおかげで、僕、叩かれないと寂しいみたいになっちゃったんです。売れてるものとかヒットしているものって、絶対にアンチがつくことに気づいた。めっちゃ叩かれてたけど、その分目立っていたんだなと。だから、デビューして叩かれなくなっていったあたりは、逆につらかったです」
失恋と誹謗中傷をエネルギーにかえ、バンドに打ち込んでいた高2のとき、全国コンテストで決勝に進んだりしたのがきっかけで、彼らは音楽業界で注目される。数社が争奪戦を繰り広げる中、2009年には、当時中高生の間で絶大な人気を集めていた、TOKYO―FMとソニーミュージックが組んだラジオ番組主導のコンテスト「閃光ライオット」の決勝で見事、特別賞を受賞する。
「学校内でも評価が変わりました。何社もスカウトが来た時点で『俺はこのためにつらい思いをしてきたのか』みたいな。天狗になりましたね」
親友の藤川も「そのころはメンバー全員、めちゃめちゃ調子に乗ってた」と明かす。
「ただ……某社からお誘いをいただいたときに、古舘くんが『お父さんにいつもお世話になっています』と言われたんです。その言葉で、落ち込んでいた。自分の力でやってきたのに……と。その後、取材とかを受けるときも『なるべく父の名前は出さないでください』と言っていました」
“もっと売れなきゃ”という恐怖心

東芝EMI(現ユニバーサル ミュージック)内の、インディーズ・レーベル兼マネージメントと契約、2010年にデビュー。そこで初めて古舘は現実を思い知る。
「人に伝えるってこんなにも難しいのか、と。僕らは若いから面白がられてデビューできただけで。もっと動員があるバンドも、もっと演奏がうまいバンドもいた。僕らはデビューできたのに何もない状態だということに、インディーズの2枚目を出したころ気づいちゃって」
そもそもThe SALOVERSは、バンドをやりたい古舘が幼なじみに楽器をやるよう声をかけ、始まったバンドだ。
「みんな音楽で食っていきたいと思ってないから、遅刻するし、練習してこないし、ガミガミ言っているうちに『あれ? 友達だったのにな』と」
メジャーデビュー前の段階で、すでに古舘は焦っていた。
「とにかく自分を変えなきゃ、もっといい曲書かなきゃ、もっと売れなきゃ、という思考になっていって。メガヒットしていれば、根拠なき自信が根拠ある自信に変わったんでしょうけど。まずい、このままだと活動を維持していけない、という恐怖心がありました」
ある日、古舘はあれほど避けてきたはずの名前を自ら口にし、周囲を驚かせる。メンバー全員が悩む中、「先に一皮むけた」と藤川は感じた。
「インディーズからメジャーに移るとき、新人何組かを、音楽業界の関係者にお披露目するライブがあったんです。バンドで2曲やったんですけど、そのあと古舘くんがアコースティックギターを持って1人で歌った。その前に『古舘伊知郎の息子です』と言ったんです。そこで『クニ』というご時世的にヤバい曲を歌って、すごい拍手を受けたんですよね。すべてを受け入れて前に進んでいく、という覚悟が見えた気がしました」
The SALOVERSは確かにヒットしたとはいえないが、コアなロックファンや先輩ミュージシャンから、最も認められている若手でもあった。
「こんなに迷っているくせに、自分が大好きなくるりの岸田繁さんに絶賛されたり、先輩方がみんな褒めてくれる。でも『やべえ、また俺、才能あるフリ詐欺をしてるんじゃないか、だから早くこれを真実にしなきゃ』みたいな。ファンに対してもそうでした。こんなに自信がなくてダメな俺を応援してくれるんだから、早く結果を残して恩返しをしないと……って」
古舘と同い年で、互いに親友と認め合うMy Hair is Badの椎木知仁(33)も最初はファンだった。新潟県の高校生だったときにThe SALOVERSを知り、夢中になったという。
「歌も演奏もファッションもカッコよくて、特に歌詞がすごくて。新潟にツアーに来たときに見に行って、写真を撮ってもらって、握手して帰りました。書く曲もそうだし、身振りとかもそうですけど、いつかいなくなっちゃうんじゃないか、破滅していくんじゃないか、という危うさをすごく感じていて。この人を追いかけたい、この人がどうなっていくのか見たい、と」