二度目の挑戦を決めた理由
だが、ブレイク未満の現状を打破できぬまま、2015年、大学卒業と同時に活動を終える。その前後から俳優の仕事を始めたが、ソロでバックバンドを集めて音楽活動も再開。そこに加わったギタリストの加藤綾太と、新しいバンドをつくれるのではないか、と考え始めたころのことだ。
「SALOVERSがうまくいかなかったのは、四つ打ちダンス・ロックのブームやシティポップが流行って、僕らのような、'90年代からのオルタナティブな音の系譜にいるバンドが時流に合わなくなったからだ、と。時代のせいにしてた。そこに、My Hair is Badとyonigeが登場するんですよね。僕らに影響を受けたと公言する2バンドが、『時流に合わないから』という僕の言い訳なんか覆して、めちゃくちゃ売れ始めた。それはすごくいい刺激になりました。もう一回戦場に戻りたい、という気持ちになった」
古舘と加藤はメンバーを集め、バンドを結成。4人とも2つ目のバンドなので「2」と名づけ、1を超えようと活動を始めた。
「ファースト・アルバムがびっくりするくらい売れて。動員もすごい増えた。でも、2枚目から伸びが止まったんです。やっぱり僕は『数字で結果を出したい』という気持ちが根底にあったから、またウジウジし始めました」
数字以外の部分でも、順風満帆ではなかった。メンバーが脱退し、古舘と加藤だけになって活動が止まったこともある。THE 2と改名して再始動するも、またもやメンバーが去り、ついには相棒の加藤が病気で休むことになる─。
「誰も悪くない状況で、足並みがそろわなくなって。でも意地になって頑張っていました。自分の弱さと幼さで、The SALOVERSの看板を簡単に下ろしてしまった、次はそうしたくない、と」
いつしか、バンドのマネージャー業務も、古舘自身が担うようになっていた。
「ツアーのとき、1人で機材車を運転して、1人で全員分の機材の積み下ろしをして、精算も自分でやって、みんなにギャラを払って。それでいいと思ってたんですけど、ツアーで四国に行ったとき、僕が運転していて、パッと振り返ったら、僕以外全員サポートメンバーだったんですよ。マネージャーもいない。そのとき、『これはバンドなのか?』と、われに返りました」
THE 2は、2024年2月のライブで解散。活動期間はThe SALOVERSと同じ7年間だった。
「このときは初めて『自分、頑張ったな』と思えちゃったんです。それまでは常に焦りながら『もっと上に』と思ってやってきた僕が、初めて『ここまでかな、もういいのかも』と思えた。バンドを2つもやれたし、役者の仕事も楽しかった。これ以上求めるのは欲張りすぎるなと」