スパルタ塾で偉大な父が望んだ道へ
自称「有名になりたかったのに、なれなかった迷子」である古舘がまだ幼かったころ、父親はすでに超有名人だった。
当時の父親は、F1レースの中継や『夜のヒットスタジオDELUXE』の司会を務めていたが、彼が音楽や文学に興味を持ち始めたころには『報道ステーション』のメインキャスターに就任し、バラエティーの仕事をやめていた。そのため、息子の目には「報道の人で、カルチャーとは無縁」と映っていたという。
多忙を極めていたこともあってか、父が息子に強く干渉することはなかった。ただ、ひとつだけこだわったのが、慶應に入れることだという。
「自分が慶應に落ちたので、とにかく僕を慶應に入れたがって、小学校のお受験塾に通わされて。塾のある水曜と日曜は本当に憂鬱。みんな必死で授業についていくんだけど、1人、また1人と泣き出すんですよ、つらすぎて。3〜4歳の子に腹筋100回とか、腕立て伏せとか」
晴れて慶應幼稚舎に合格した日、父はその通知を握りしめて泣いた。姉2人の結婚式でも、祖父母の葬儀でも泣かなかった父親が泣くのを見た、唯一の記憶だという。
「マジで変人だなと思うのが、そこまで慶應にこだわったなら、いい成績をとれとか、いい就職をしろとか言うべきじゃないですか。違うんですよ。何も言わない。合格通知を握り締めて泣いた時点で終わっているんです」
古舘は、慶應幼稚舎に通いながら、地元の少年野球チームに入る。将来の夢は野球選手で、母に「自分はドラフトにかかるから大学には進学できない」と言っていた。
本格的に音楽に興味を持ったのは、高校生の姉たちや、その彼氏の影響。洋楽のCDを聴きあさり、姉のお下がりのギターを弾き始める。そして中3の秋の文化祭で、初めてバンドでステージに立った。
大失恋で寡黙な文学少年に変貌!?

念願の彼女もできた。
「中学でも野球部だったんですけど、引退後は厳しい日々から解放されて、甘酸っぱい青春を満喫してたんですね。バンドをやったり、彼女がライブを見に来てくれたり。姉たちがそうしているのを見て憧れていた生活ができるようになって、楽しかった」
4歳のとき、お受験塾で出会って以来、現在も付き合いが続く古舘の親友で、The SALOVERSのドラマーでもある藤川雄太(33)は言う。
「彼女は、いいところのお嬢さんで超美人。F組にいた、学年でかわいいとされる4人が、F4って呼ばれてたんです。その一角が彼女で。古舘くんはクラスの中心にいて、おしゃれだったし、高嶺の花を射止められたのもおかしくないというか。本人は全然そう思っていないんですけど」
しかし、高校で男子校と女子校に分かれた半年後、古舘は彼女にフラれる。その後、自分のもとを去った彼女が、校内でいちばんチャラい、ドレッドヘアの先輩と付き合っていることを知った。そこから、それまで興味がなかった文学にのめり込んでいく。
「はい、そこからですね、(村上)春樹を月の明かりで読み始めるのは(笑)。目つきも変わったし、クラスの誰ともしゃべらなくなって。先輩に彼女を取られて、学校の全員が敵だと思っちゃったんです。みんなそれを知っていて俺のことを笑ってる、誰にも心を許さない、みたいな」
好きな曲をコピーするつもりで始めたバンドで、オリジナル曲を書き始めたのも、その大失恋がきっかけだった。
「もう、いてもたってもいられなくて。その子に何回もメールしたし。手紙も書いて、最後になぜかザ・ブルーハーツの『青空』の歌詞を書くんですよ。で、CD―Rに曲を……だったらブルーハーツでいいのに、くるりの『言葉はさんかく こころは四角』を入れて。それを免許取りたての原付に乗って、彼女の家のポストに入れに行く。頭グチャグチャですよ、もう」
必死のアピールもむなしく、まったく考え直してもらえない。それでも心が折れなかった古舘は、高1の秋に決まったThe SALOVERSの初ライブに懸ける。彼女を思って書いた曲を演奏しよう、それを見てくれたらきっと気持ちを変えられる、と。友達の協力もあり、彼女はライブハウスに来てくれた。しかしライブ後、「今度会ってくれないか」と伝えると、「会うのも手紙もメールも無理です」と拒否され、あえなく撃沈する。