段ボール箱で届けられた仕事の重み

 この小説は、中学3年の秋に悪性の腫瘍(しゅよう)で亡くなったクラスメートの死がきっかけとなって生まれた。

私は中3のとき、体育館の片隅で、彼女の夢を聞いたことがありました。“童話が描きたい”と言っていたあの子の夢は、一体どこに行ってしまうのだろうと当時、思ったことを今でも覚えています。彼女はすでにいませんが、私の中にも彼女の命が生きている。受け継ぐ人がいる限り、生命は生きている。そういった思いを込めて書きました」

 みと自身も高校3年のときに看護学校の1日体験実習に参加したことがあった。しかし、この作品を書くにあたって看護学校を取材してみると、命と向き合う看護師の大変さに改めて気づいた。

『時の輝き』を描く際は、看護学校や病院で丁寧な取材を重ねた
【写真】折原みとさんの幼少期、高校時代、逗子での生活の様子など

『時の輝き』は、発売されるやなんと110万部のベストセラー。1995年には高橋由美子、山本耕史の主演によって松竹で映画化もされた。

「“この本を読んで看護師になろうと思いました”といった手紙が、1日に段ボール何箱分も届き、作家という仕事は、読者の人生にまで関わることができるのかと感動した反面、“物を書く”仕事の責任の重さに初めて気づかされた作品でもありました」

 と振り返る。

 この作品は10年後にマンガ化。続編『時の輝き・2』からアシスタントを務めた現・東北新社プロデューサーの大屋光子さんは、みとの当時の仕事ぶりについてこう語る。

「アシスタントに入ってまず驚いたのは、アシの机がないこと。4、5人のアシが体育座りをしてベタ塗りやトーン貼りの仕事をしていました。こんなのほかでは考えられません(笑)。筆が早く120ページくらいのマンガなら3日でペンを入れてしまう先生は、おしゃべりしながらも常に手を動かしていました。私は昼間働いていましたから、仕事場に着くとまず夜食作り。角煮を作って先生にびっくりされたこともありました。10人以上のアシスタントを呼んで行う年末のクリスマスパーティーは盛大で、先生からいただくプレゼントをみんな楽しみにしていました」

『屋根裏のぼくのゆうれい』サイン会にて

 当時はマンガの連載を月に2、3本抱え、その間に連載小説や書き下ろしの小説を執筆するというハードスケジュール。タフで徹夜に強く猛烈な仕事量をこなしてもビクともしなかったみとだったが、あるとき、こんな珍エピソードに見舞われたこともあった。

「中目黒の中で4回引っ越しした“引っ越し魔”のみと先生。ところが引っ越しの日が来ても締め切りに間に合わず、荷物の片づけが始まりハタと気がついたら、私が手伝った見開きのページがないんです。真っ青になって原稿を探したら、引っ越しの荷物の中に梱包されていました」

 と大屋さんは笑う。

 締め切りに追われる連日連夜の徹夜仕事。しかし、そんな多忙な日々を送っていたみとに、ある取材がきっかけで転機が訪れる。