濱田はひたすら車を走らせた。大分の友人のところへ行くと3食ごちそう三昧。旅立つときは、車に積めるだけの食料と満タンのガソリン、餞別に5万円渡され、ありがたさと情けなさに身が細る思いだった。

 その後は娘たちの学校のことを気にしながらも鹿児島市に住む弟のところへ寄り、また車を走らせる。家を出てから1週間、ガソリンが切れて動かなくなったのが熊本県益城町だった。

44歳、人生の転機は突然に

 高速道路の高架下に車を止め、車中での生活が始まった。娘たちは転校届を出し、さっそくアルバイトを決めてくる。妻も仕事を決めた。濱田は「女性は強い」と驚きながら、債権者たちへの謝罪行脚に精を出した。

 そんな生活が1か月ほど続いたころ、100メートルくらい先にラーメン屋があるのを見つけた。濱田は昼の営業が終わる時間を見計らって「新聞を読ませてください」と店を訪ねた。毎日のように店に出入りするうち、お礼にどんぶりを洗うようになり、互いに身の上話をする関係へ。『福ちゃんラーメン』の店主夫婦は新たに焼き肉屋を始めるため、濱田にラーメン屋の経営を打診してきた。

『福ちゃんラーメン』の店舗が残っていた熊本地震前
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「いつまでも車中泊というわけにもいかない。そこでラーメン作りの特訓を受けて店を引き継いだんです。敷金などは親族から借りました」

 家を出てから4か月後のことだった。

 41歳でラーメン屋の主となった濱田は、家族とともに店の2階に移り住み、ようやく人心地ついた。だがそこから夫婦はまた働きづめの生活を送るようになる。隣のスナックも経営し、裏にあった建設会社の寮の食事も請け負った。

「当時の記憶がないくらい」忙しい日々を送っているうち、濱田の気持ちはだんだん荒んでいった。

 人生の転機は44歳のとき、突然訪れた。

「どうしてカッコつけて自分が返済すると言ってしまったんだろう」という後悔が深まっていく。そんなとき、出前で行ったのは、もうじき開所される障害者施設だった。

「向こうに立っていた少年が、何か叫びながら突進してきたんですよ。岡持ちを守ろうと思わずあとずさりをしたら、彼は私の前に立って手を出し、岡持ちを持った。話すことができず、左手も不自由な少年だったけど、施設長が“お手伝いがしたいんですよ”と。ああ、そうだったのかと私は自分を恥じました。誰でも人のために何かしたいものなんだ、と彼の後ろ姿が輝いて見えた」

 出前に行くたび、迎えてくれる障害者の数が増え、彼らに会うのが楽しみになった。ところが開所すると食堂が完備され、出前注文がなくなった。濱田はいても立ってもいられなくなり、施設に「お手伝いしてもらったお礼がしたい」と申し出た。

「本当は彼らに会いたかっただけなんです」